需要を掘り起こす?・・・狂気のHIS



 新年早々、いささか不満めいた話で恐縮。今日の新聞(とりあえず目にしたのは『河北新報』)でひときわ印象的だったのは、HISという会社の広告である。新聞本体に見開き2面の大広告を出した上、同じ大きさ、しかも裏表なので4面相当の折り込みまで入っている。史上最大級の新聞広告ではあるまいか?曰く「初夢フェア 航空券成約の方、ホテル宿泊+往復送迎で48円」「ソウル3日間20110円」・・・こんな見出しが、これでもかこれでもかと続く。

 もはや言わずと知れた存在になっているこの会社の、成り立ちと思い出等については、愛着と危惧を込めてしばらく前に一度書いたことがある(→こちら)。その後、いろいろと気になることもあったのだが、その上で、今日の広告を見ていて、この会社が創業の理念を完全に失い、なりふり構わぬ地球に対する反逆者になると同時に、旅行というものを全くただの「消費」へと変質させてしまったことに対して、吐き気を催すほどの決定的な不愉快を感じた。多分、会社が大きくなりすぎて、維持することそのものが苦しくなってきた結果なのだろう。

 時々、新聞やテレビで「需要を掘り起こす」という表現を見る。LCAが日本に就航した時、新幹線が開業した時、新手の商法による会社が生まれた時などだ。それは日本軍を「自衛隊」と呼び、売春を「援助交際」と呼ぶのと同じことで、「欲望を目覚めさせる」の婉曲表現だと私は思っている。「需要」というものが既に存在しているわけではない。人の欲望を刺激して目覚めさせるのである。HISの人が言うのを聞いたわけではないが、HISが目下やっていることも、壮大なる「需要を掘り起こす」作業と言ってよい。

 一度目覚めた欲望は、なかなか再び眠りに就いてはくれない。むしろ、もともとそんな欲望など存在しなかったことを忘れて、それが無くてはならないもののように思われてくる。これは恐ろしいことだ。そこには、発展途上国の人達が停滞を続けるよりも、先進国の人達が発展途上国のレベルに生活を落とすことの方が困難だ、と言われている論理がある。

 身の回りにはものが溢れている。性能の良い物が売り出されれば、まだ使える古いものを捨てて買いに行くなどという気のまったく無い私には、ほとんど欲しいものなど思いつかない。日本経済のためには申し訳ないが、1985年製の電子レンジや1990年製の洗濯機の買い換えを心配している、というのが私のレベルなのである。経済と環境は、少なくとも現時点では間違いなく対立する。環境問題を耳にする機会が増えて食傷気味だからと言って、環境問題はいささかも改善されていない。むしろ、気象の異常さはリアルなレベルに達している。HISの事業は、飛行機を飛ばすことの上に成り立っている。この期に及んでまだ、そんな石油の大量消費(=二酸化炭素の大量発生)装置を飛ばそうという感覚、社会全体がこぞって眉をひそめない状況が、私には理解できない。

 私に政治家になるよう勧める悪い生徒が、かつて何人かいた(笑)。その度に、私は経済のマイナス成長主義者なので、誰からも相手にされないよ、と言ってきた。経済のマイナス成長とは、環境へのプラス成長なのだが、世の中の価値観は、二者択一をすれば間違いなく「経済」にあると見える。HISが恥ずかしげもなく、狂気の沙汰と言うべき広告を出せるのは、そのような世の中の価値観に守られているからだ。

 経済の大きなマイナス成長を実現させるためには、壁が二つある。一つは、一部の人に貧しさが集中することなく、社会全体が平等に貧しくなっていくようにすることであり、もう一つは、「豊かさ」に替わる新しい価値観を見いだしていくこと、である。どちらも乗り越えることはなかなかに難しい。議論が長くなるので、今日は深入りしない。しかし、少なくとも、そんな広告を恥ずかしげもなく出せる状況だけは早く何とかしなくては、私などにとっては、逆に、明るい展望が見えてこない。