獅子振り



 昨日は新年を仙台近郊の実家で迎え、早々、昼前に石巻に戻って来た。

 道すがら、開いている店の多さに驚いた。1月1日初売りが多くなっていたことは、新聞折り込みの広告を見ながら分かっていたが、実際これほどだとは思っていなかった。正月を家族そろって迎えられない家が多いことに胸が痛んだ。

 ノスタルジーかも知れないが、昔のお正月は、もっとひっそりと落ち着いていた。遊び回る子どもたちの声が聞こえていたのが、華やかに感じられたものである。まだ環境問題に対する意識や技術が低く、「スモッグ」といって、車の排気ガスや工場の煙による空気の濁りが常に大都市を覆っていた時代、1月1日になるとそれが消え、東京都心から富士山が見える、などということがニュースになっていた。それくらい、世の中の活動がストップしていたのである。

 単に、静かだとか静かでないとかいうだけなら、やはりノスタルジーの一種だということになるであろうが、「遂に正月でさえ家族そろって迎えられなくなった」となると、これは立派な教育問題、いや社会問題のような気がする。経済効果があったとしても、長い目で見れば失うものの方がはるかに大きいであろう。自由主義者を自認する私が、12月31日から1月2日までの3日間は、全ての事業所・商店営業禁止とかいう法律でも作った方がいいとさえ思うが、まさか文化を法で規定するわけにはいかない。コンビニさえ存在しない(正確には未詳)ヨーロッパなら、こんなバカなことはするわけがないと思うが、そのような意識がどのようにすれば育つのか。今の私には皆目見当がつかないのである。

 ところで、そんな私が、正月早々、実家での静かなお正月を捨てて(笑)石巻に戻って来たのは、「獅子舞」が見たかったからである。

 私の義母の実家は、水産高校にほど近い石巻市渡波鹿松という所にある。ここには、古くから獅子舞が伝えられていて、1月1日に各家庭を回る、という話を聞いていた。一度見てみたいと思いながら、1月1日に石巻に戻るのが難しくて実現していなかった。今年はさほど差し障りがあるわけでもないので、実母には多少申し訳ないと思いつつ、あえて戻って来たのである。

 この地区には、「鹿松相救会」という互助組織がある。それが獅子舞(地元では「獅子振り」と言う)の主催者であり、1月1日に鹿松地区の数十件を一日がかりで回るのだという。義母の実家であるS家には、午後3時過ぎにやって来た。昔ながらの旧家であるため、広い座敷がある。そこで獅子は数分間踊り、終わるとS家の主がご祝儀を出し、酒を振る舞う。なんとも素朴で華やいだイベントであった。

 私が驚いたのは、このような古い組織の場合、どこでも高齢化が問題になっているように思うが、やって来たのが小学生から70歳くらいの老人まで、実に年齢構成のバランスの取れた10人ほどの人々だった、ということである。聞けば、この地域は田舎であるにもかかわらず、跡取りが都市に流出することなく、正に跡を継いでいるのだそうだ。

 残念ながらS家の跡取りは、今は家にいないが、久々に戻って来た娘夫婦に私達も加わって、獅子振りの後、正月の宴がしばらく続いた。いかにも日本の伝統的なお正月を過ごしたという、ほのぼのとした気分に浸ることが出来た。そんな1日であった。