ブリテン『戦争レクイエム』



 20世紀イギリスを代表する作曲家ベンジャミン・ブリテンに『戦争レクイエム』という大きな作品があることは昔から知っていて、一度しっかり聴いてみたいと思っていた。しかし、なにしろ「現代音楽」(1962年完成)で、CD2枚の大曲である上、通常の定式化された「レクイエム」とは異なる歌詞があるらしく、対訳を使うにしても聴くための準備に大きなエネルギーが必要なようなので、「覚悟」が必要となり、ついついそのままになっていた。

 先月、テレビで、体調不良のため長く仕事を休んでいた小澤征爾が、この大曲を以て復活したというニュースを見て、ふとその存在を思い出し、かつ、正月に自宅で一人きりになる時間があることを知って、懸案を一つ解決しようと予習を始めた。

 私が買ったのは、ブリテンが自ら指揮をして1963年に録音したものである(デッカ、UCCD-3633/4)。リハーサルの録音がオマケで付いていることは、ジャケットを見て分かっていたが、あまり期待はしていなかった。なぜなら、そのようなCDは時々あるが、指揮者がどのような指示しているか、大抵はまったく聞き取れないからである。ところが、このCD、ライナーノートにリハーサル部分の言葉がすべて起こしてある。これは指揮者の意図を知るためには非常に価値のあるものだが、特にこのCDの場合、指揮者=作曲者なのだから、決定的に重要な意味を持っている。読みながら聞くと、実に面白い!

 この曲は、1940年、イギリス・コヴェントリー市にある聖ミカエル大聖堂がドイツ軍の空爆で破壊された後、1962年に再建完成した際の献堂式に演奏するために委嘱されたものである。もちろん、「レクイエム」と指定しての委嘱ではなく、「レクイエム」と決めたのはブリテンである。たとえ空爆で破壊された教会の再建とはいえ、あえてその過去の事実に目を向けさせようとする、この発想がまずはユニークだ。通常の典礼文(ラテン語)の合間合間に、ウィルフレッド・オーウェンという第一次世界大戦で25歳にして戦死した詩人の詩(英語)を挟み込むという面白い構造、第二次世界大戦で交戦国となった英独ソ出身の3人の歌手を独唱者としてわざわざ起用するという配慮など、曲も演奏もなかなか興味深い。

 演奏に要する時間は80分余り。ブリテンという作曲家の作品は、現代音楽の中では比較的「分かりやすい」が、それでも「現代音楽」である以上、非常に晦渋、耳障りで分かりにくいという先入観を持ち、身構えてしまう(ブリテン自身もリハーサルの際に、「きれいな音にしようとしちゃダメだ。これはおぞましい現代音楽なんだから!」と語って笑いを取っている)。しかし、少なくとも、一聴の限りでは非常に自然な音の配列、響きの世界であって、何の抵抗もなく、しかも退屈せずに聴き通すことが出来る。まだその真価は私には分かったとは言えないが、今後繰り返して聴きながら、確かめていこうと思う。古典が歴史の批判に耐えてきたように、一人の人生の中でも、繰り返し聞くことに耐える作品にこそ価値はある。

 ブリテンが第2次世界大戦で「良心的兵役拒否」を申請して、実際に兵役を免除されたというのは有名な話だろう(イギリスという国の貪欲さは、近代史の上で多々問題があるとはいえ、このような話を聞くとやはり大人の国だ、と思わせられる)。作品を受け入れるのに、作品以外の情報を持ち込むことは御法度かもしれない。しかし、生き方を反映していない言葉は虚しい。私は、戦争に対するブリテンの身の処し方から、この曲の内容まで含めて、全てが渾然一体となった一つの作品であると考えることも許されるような気がするのである。