井戸沢小屋の寄せ書きを見ながら・・・



 この二日間、一高山岳部の諸君2名と山へ行っていた。1月恒例の内容であるが、積雪期の井戸沢小屋を目指し、あわよくば刈田岳に登頂しようというものである。8日は下界でも朝から強い風が吹き、果たして出発地点の澄川スキー場は営業しているのであろうか、もし強風のため休業であれば、遠刈田からアテにしていた送迎バスも運休だろうからどうしよう、などと道すがらもう一人のコーチであるOさんと話していたほどである。

 幸い、スキー場は営業していたが、風は下界よりも強く、低温(スキー場で−8度余り、最初に目指した刈田峠は−11度超!)、降雪という厳しいコンディションであった。天気予報によると、8日はむしろマシで、9日こそ冬型が強まるというのだから恐ろしい、と思いつつ、ほとんどホワイトアウトに近いコンディションの中、更にはスノーシューを履いていても膝上まで潜る雪をラッセルしながら、無事に井戸沢小屋にたどり着いた。

 ところが、結局強まるはずの冬型は強まらず、むしろ、風は落ち、雪も弱まり、気温は上がって、曇ってはいるもののまずまずの天気となった。更にところが、私達はすっかり今日の天候を最悪と決めつけ、刈田岳への登頂を前夜のうちに断念してしまった。その結果、朝をぐだぐだと過ごして、実はいい天気だ、と気が付いた時には既に時間が無く、頂上へ向わずに下山してしまった、というお粗末な結末であった。「コーチ」として甚だ情けない。

 ところで、私達が泊まった仙台一高井戸沢小屋も、昨秋、めでたく築40年を迎えた。老朽化は進んでいるものの、まあもう少しはもちそうである。日頃あまり人が入らないにもかかわらず、厳しい環境の中に建つ小屋としては、十分に長持ちの部類らしい。

 この小屋には、山小屋としては珍しく畳敷きの座敷があり、そこと続いている板の間も含めていわば「居間」のような感じになっている。ここの壁には、落成以来10年ごとに作られ、関係者に配られる手拭いが貼られ、欄間には寄せ書きが貼られている。昨年10月10日に40周年祝賀会を行った時に手拭いは未完成だったということで、手拭いは増えていなかったが、寄せ書きは増えていた。日に焼けた40年前の寄せ書きから、昨年の分までをひととおり眺めながら、私はあるものを思い出していた。

 旧制二高から東北大学に引き継がれた学生寮「明善寮」が解体されたのは、私が大学1年か2年、すなわち1981年か2年のことであった。当時既に、全国を見ても、旧制高校の寮が残っていたのは東北大と、北海道大学の啓迪(けいてき)寮だけであった。その歴史的意義を多少は理解していた私は、解体の直前に明善寮を見に行った。それはもはや建物の体を為していないほどの陋屋で、いくつかの部屋に「まだ住んでいます」という札がぶら下げられていることに驚愕した。さすがにそのような部屋は遠慮したが、あとはどこからでも自由に出入りできる状態だったので、結構な時間をかけてじっくりと観察した。

 私が興味を引かれたのは「落書き」である。最近書かれたと思しきものに、幼い字で卑猥な内容を記したものが多いのに対し、押し入れの中等に残る、何十年も前に書かれたと思しきものは、墨による達筆で、人生訓や志が格調高く書かれていたのである。私は、書物を通して少し知り、憧れていた旧制高校の気風に直接触れた気がして感動した。

 これは関係あるような無いような話だ。明善寮は住人が後から後から入れ替わるが、山小屋は40年前の落成に立ち会った人も含め、昔の人がそのまま昨年も祝賀会に参加して書いているのだから、時代はあまり反映しないからである。ただ、それは私に明善寮の落書きを思い出させるに足る雰囲気(格調)を持っていたから、ふと書いておきたくなったまでである。

 井戸沢小屋の新旧寄せ書きを比べてみると、新は旧に比べ、字が多少小さくて弱々しい感じはするが(本物の筆ではなく筆ペンを使ったからだろう)、内容的には至って真面目なものである。書かれた内容についてやや見劣りがするとは言っても、40年前のものも、漢文の一節を引用しつつ語順が間違っていたりもするので、そのような点を差し引きしていくと、遜色ないと言ってよいだろう。だから、私の関心は、内容が時代と共にどう変化しているかということではなく、これが更に10年後、また新たに書かれ、欄間に増えるのかどうかという点にあった。刈田峠に近く、最寄りの車道(エコーライン)からですら15分もかかる深い山の中の巨大な小屋で、維持管理は困難である。山岳部OB会(一高山の会)の高齢化もあって、最近は「限界論」もちらほら耳にするようになった。何物にも「寿命」はあるが、私達が普通は何歳になっても死にたくないと思うのと同様、歴代山岳部員の思いが込められ、環境も申し分ないこの小屋には、当分の間、在り続けて欲しいと思う。

 しんしんと雪が降り、薪ストーブの燃える冬の夜中、そんなことを思った。