『奇跡の教室』・・・灘校と橋本武のしたこと



 妻に勧められて『奇跡の教室』(伊藤氏貴著、小学館)という本を読んだ。副題めいたものがタイトルの上下に一つずつ、二つ付けられている。一つは、「エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」、もう一つは「伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀」というものである。 かの有名な神戸の灘中学・高校で昭和9年から昭和59年までの50年間、国語教師をしていた橋本武(通称「エチ先生」)という人について、本人と卒業生からの取材を元にまとめたレポートである。

 この人の特異性を象徴するのは、灘中学3年間、一般の教科書を使わず、岩波文庫中勘助銀の匙』1册だけを読む授業を一貫してやっていたということである。授業の詳細を説明するための本ではないので、その授業がいかなるものであったかについては不明な点も多いが、なにしろたった200ページの文庫本である。横道にそれながら、ただし、分からないことの一切無いように徹底的に読むということは間違いないにしても、それに生徒が嫌気を差さないようにするというのは至難であると思う。この人の実力や努力が計り知れないものであるのは確かである。

 しかし、私がむしろ興味引かれたのは、そのような実践を可能にした灘という学校であった。本文にも、中高一貫、一教科一担任の持ち上がり制、どんな授業をするかは全て教師の自由、という条件の下に橋本の「奇跡の教室」は実現したと書かれている。

 私は、その灘校がある兵庫県で中学の後半と高校時代を過ごした。自宅から灘校までは電車で2時間近くかかるし、1学年200人のうち高校からの入学枠は50人だけだし、田舎の平凡な中学生であった自分とは無関係な雲の上の世界だと思っていたので、受験しようという気を持つことは微塵もなかったが、一方、100人を超える東大現役合格者を出すからには、血も涙もないスパルタ式の受験教育が行われているに違いないという思い込みもあって、むしろ拒否感さえ持っていた。ところが、この本を読んでいると、正にその正反対の、生徒の知的好奇心に立脚した、のびのびとした環境があるのだな、と感心させられる。今、この期に及んで私は、生徒としても、教師としても、強い憧れを感じるのである(6年に一度しか生まれない橋本の生徒は、第5代が昭和55年に卒業している。私は、昭和56年の高校卒業だ。私が仮に灘高に入学していたとしても、中学3年間で行われた『銀の匙』の授業に参加できなかったのはもとより、そもそも橋本の学年に当たっていない。それは、この本を読みながらそこに描かれた世界に憧れを感じた私にとって、ささやかな「救い」である)。

 橋本が赴任した当時の灘校は、至って平凡な、東大合格者ゼロの学校であったが、『銀の匙』の授業を最初に受けた生徒は15名が東大に入り、6年後の2代目『銀の匙』は京都大学に52名入り、京大合格者数日本一、そして3代目は東大に112名(橋本の授業を受けていない浪人を足すと132名)が合格して、東大合格者数日本一を実現させる。灘校の教師はもちろん橋本だけではない。従って、橋本のユニークな授業と灘校の進学実績との因果関係を証明することは出来ない。そして、橋本自身は、受験ということは全く意識していなかったらしい。

 橋本は中学3年間で1冊の文庫本だけをテキストにするというやり方をすると決めた時、「結果が出なければ責任を取る」と覚悟したそうである。しかし、ここで言う「結果」が大学の合格実績でも、全国一斉模試の偏差値でもないことは、本の最後で明らかになる。それは、「『銀の匙』を読んだ生徒が、還暦過ぎても、みんな前を向いて歩いている」ということである。高校卒業後40年以上過ぎてから初めて明らかになる「結果」。この時間的スケールこそが、教育に必要なことであり、価値を表すように思う。

 橋本の言葉、「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなります。そういうことを私は教えようとは思っていません。なんでもいい、少しでも興味を持ったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。私の授業では、君たちがそのヒントを見つけてくれればいい・・・。」

 灘校の進学実績が橋本の実践と直接関係するかどうかは分からないにせよ、上に書いたような灘校のシステムと無関係ではないだろう。そして、そのようなシステムで能力のある人間が能力を発揮するというのは、私には非常に自然なことに思える。

 無名時代の灘校ではなく、超有名校となった灘校には、東大合格を目標として、そのための勉強が出来ることを期待して入ってくる生徒も多いだろうし、灘校の教師の中に、「結果」をあせって、迎合的な受験教育に流される人が現れてもおかしくない。もしも灘校にそんな雰囲気があり、それが主流派であれば、橋本流は、生徒とも同僚とも非常に大きな摩擦を生んだに違いない。それがなかったらしいのは、生徒も教師も、本当に優秀な人間はそんなケチくさいことに重きを置かないということもあるだろうが、各教科担任の「自由」という灘校の方針が完璧に徹底されていて、橋本の授業にそのような流れを超える面白さがあり、橋本流を肯定する、もしくは同様の方向性で授業を行う教師が比較的多数存在したからでもあるはずだ。それを維持していくことは、本に向って空想するほど易しいことではないだろう。