今年の年賀状から・・・アナログ礼賛



 今日は小正月。何年か前なら成人式で、年賀葉書のお年玉抽選が行われていた。今は抽選もなぜか1月も下旬の23日に移ってしまったが、さすがにもうこの時期になると年賀状など来ない。正月もすっかり終わったな、と思う。

 さて、今年の年賀状で特徴的と感じたのは、最近になく手書きの文字がたくさん書かれた年賀状が多かった、ということである。この10年ほど、PCや家庭用の高性能プリンターが普及するにつれて、美しくはあるけれども、字を書くことを放棄した、という感じのつまらない年賀状が増えていた。それに伴い、年賀状を書く時期になると、前年受け取った年賀状を見ながら、私が「差し上げる」必要のある相手以外で、手書きの文字がないものには出さないことにするようになっていた。だからこそ、今年の手書き文字の増加は驚きであり、嬉しいことだった。私以外の人の中にも、私と同様に、アナログ(少し本来の意味を拡大して、最近はPC処理されていないものを広く「アナログ」と言うようだ。私もここではそのような意味で使う)への志向が回復してきているのではないか、と思った。その中に、正にその「アナログ」問題について触れたものが2通あったので、年賀状から目に止まったものを紹介するという恒例もあることだし、今年はそれらを引かせてもらおうと思う。

 まずは、今までに私が「生徒」として付き合った中で、最も敬意をもって接してきた「生徒」であったT君の年賀状。葉書の上4分の3のスペースに、わざわざ金で大きく「Only Analog Is Real」と書いた上で、残りのスペースに非常に小さい字で以下のように書いてある。

「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。先生が水産高校に栄転されてから、なかなか会う機会がなく残念です。最近の研究活動は・・・残念ながら人並みにしか行っていないのですが、音楽活動に対し自らの情熱の限りを向けております。しかし、これで生活をしていこうとは粉微塵も思っておりませんが、音楽を楽しんでいるのは事実です。東京や大阪にライブを見に行ったりと、広く動くことで遠方の知り合いも増えました。そこから多くの事を学んだのですが、強く意識し始めたのは、電子化されていないアナログにひそむ情報(紙媒体、レコード盤など、そもそも媒体に記録されていない人のもつ情報を含めて)にこそ、魂をゆさぶるとんでもないモノがあるのだ、ということに気がつきます。先生のブログにも良くそういった「アナログ」なモノの価値を訴える文言を読み、強く共感するものです。またお会いしてお話ししたいものです。」

 もう1通は、「アナログが淘汰されていく時代、悩み多き歳になったと感じる今日この頃です」というだけだ。これは、20年ほど前、学校外の高校生集団に私が付き合っていた時に出会った「生徒」、S君からのものである。T君と違って、S君が私のブログを読んでいるのかどうかは分からない。読んでいないとすれば・・・この記述はより大きな意味を持つだろう。

 実は、新年最初の授業で、私は久しぶりに、手書きプリントを配った。「月曜プリント」復刊と言ってよいかも知れない。きっかけは、上のT君の年賀状である。私は、言葉が通じそうな気がしないので、プリントを配らなくなっていたが、もしも「アナログ」であることにこそ意味があるとすれば、言葉の中身よりも、私が書いた文字に生徒が接するということだけで、何かしらの意味は持つのではないか、少し実験をしてみよう、と思ったのである。こういうものは、結果がすぐに出るものではなく、仮に「結果」らしきものが出たとしても、私が与えたものとの因果は証明できないと思う。それでもいい。アナログを通じて、何か得体の知れないコミュニケーションが生まれ、それによって何かが変わっていく・・・そういう期待は持って良いのではないか。「何か」が起これば、またこの場で報告しようと思う。