今年の年賀状から



 今日からしばらく厳しい寒さが続くそうであるが、大寒も過ぎたし、日も長さも少し感じられるようになってきた。我が家では、牡鹿半島から太陽が昇るのがよく見える。既に日の出の場所が、明らかに北にずれてきた。この太陽の動きというのは、何とも季節の変化を感じさせるものである。

 年賀状の「お年玉」抽選が日曜日にあり、これが終わると、私は「正月が終わったな」という感慨を抱く。いつもこの時期の学級通信では、今年私の所に届いた年賀状から、多少は生徒が生きる上での刺激になりそうなものを一つ選んで紹介する。今年はなかなかの力作揃いで、選考には苦労したが、「心意気」と「手書き」を買って、以下のものを選んだ。ところが、いきさつも含めて書くと結構長くなる上、この数日、学級通信を書く気にならないちょっとした事情があるので、ブログに書いておいて、気が向いたら転載することにした。


 昨年の大晦日、前任校の卒業生Kから次のようなメールが来た。

「去年は書けなかった年賀状を皆さんに送りたいと思います。そこでよろしければ、みなさんの住所を教えて下さい。メールではなく手書きの手紙ってすごいイイと思うから是非お願いします。」

 多くの人に一斉に同じ文面のメールを送っていることを抜きにしても、大学生の書く文章としてほめられたものではない(高校時代の国語の教科担任の責任だと思えば文句も言えない)し、よりによって大晦日に住所伺いというのも間が抜けていると思ったが、精神は立派なものなので、もちろん私は返信した。

 待てども待てども、Kからの年賀状は来ない。来たのは、1月も半ばになってからのことだった。龍の絵の輪郭以外すべて手書きである。

「謹賀新年 お久しぶりです。お元気でしたか。昨年は、東日本大震災が発生し、お互い大変な1年になったかと思います。自分は、1年の浪人を経て、○○大学経済学部に進学しました。第一志望の△△大学は夢のまま終わってしまいました。しかし、あの1年がムダなものとなってしまわないよう、違ったもので結果を残せたらなと思っています。大学生活では他に国際協力のインカレサークルに所属し、活動していました。今年の3月に支援先のネパールに1ヶ月ほど滞在します。サークル活動を通して、企業の方や著名な方とお話ができたりと、充実した生活を送っています。今年は、夢でもある政治家に向け違った活動も充実させていきたいと思います。長くなりましたが、平居先生も体調にはお気を付け下さい。今年もよろしくお願いします!」

 日本語の幼さは前のメールと同じだが、意味が通じないわけではないので、とても前向き、ひたむきな大学生活を送っていることの価値からすれば、それはたいした問題ではないだろう。

 人生は必ずしも思い通りいかない。どうすれば夢が実現するか、はっきりと見えるわけでもない。だが、静かに考えているだけでは道は開けず、動きながら考える必要があるというのは間違いない。特に、多くの人と出会い、関わり合うことは決定的に重要である。Kは△△大学に入れなかったことに落ち込むこともなく、むしろそれを発憤の材料として、あくせくと大学生活を送っている。夢である「政治家」になれるかどうかはまた別の話。Kはきっと大きく立派な社会人になるだろう。明るい期待が持てた。