シューベルトの「ドイツ・ミサ曲」

 先日、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」について書いた(→こちら)。聴きに行く前、「ドイツ・レクイエム」の楽譜や録音を引っ張り出してきては、あれこれ考え事をしていた時に、もう一曲、ドイツ語による教会の典礼音楽で頭に浮かんだものがある。シューベルトの「ドイツ・ミサ曲」だ。
 もともとラテン語で書かれていたレクイエムやミサ曲で、どうしてドイツ語バージョンが作られたかというと、それはマルティン・ルターによる宗教改革と関係する。ラテン語で民衆を煙に巻き、芸術で幻惑することによって、教会と聖職者とをことさらにありがたく見せ、特権化する。そんなキリスト教を否定し、人々に分かる言葉で、信仰の実質に迫ろうとしたのが宗教改革だ。その中で、歌詞も自分たちが日常使う言葉で、という動きが生まれてくる。とは言え、ブラームスシューベルトも、単純にラテン語の歌詞をドイツ語に置き換えて作曲したりはしていない。「ドイツ・レクイエム」は、ブラームス自身が、ルター訳の『聖書』から言葉を拾いながら編集したもので、「ドイツ・ミサ曲」は、ノイマンという物理学者兼詩人が作った歌詞によっている。それでも、キリスト教を平易で身近なものにする、作曲者が自らの真情を表現したり人とそれを分かちあったりしやすくする、といった点で宗教改革の理念に沿っている。
 私は、以前講師として勤務していた学校の音楽室にあった、マウエルスベルガー指揮のLPレコードでこの曲を知った。何とも素朴で穏やかな佳曲であり、いい演奏だった。私はこの曲が大好きになった。
 この曲の素朴な温かさというのは、伴奏が管楽器だけである、フーガのような技巧的な様式が用いられておらず、独唱者も不要で、最初から最後まで混声四部合唱によって和声的に歌われる、つまりは大きな賛美歌のような作りになっていることに起因するだろう。CDというものが世に現れた早い時期に、私はサヴァリッシュ指揮バイエルン放送合唱団ほかによる録音を買ったが、その解説書にあった渡辺学而氏による次のような解説を、私は「我が意を得たり!」と思いながら読んだ。

「かつてオーストリア南部のザンクト・アンドレーという小さな田舎町を通った時、そこの教会からこの『ドイツ・ミサ曲』が聴こえてきた。教会では若いカップルの結婚式が行われていたのだが、オーストリアの静かで美しい自然、そして素朴な結婚式といった雰囲気にあまりにも音楽がよく適合していてたいへん感動したことがある。シューベルトの『ドイツ・ミサ曲』は、そんな音楽だといえるように思う。」

 サヴァリッシュの演奏は、マウエルスベルガーの演奏に比べると重厚な感じがして、それがこの曲の素朴さに合わないとは思ったが、大切に聴いてきた。というのも、不思議なことに、私にとっては名曲であるこの曲も、録音が非常に少ないため、コレクションを増やしようがなかったのである。「名演奏」と記憶するマウエルスベルガーのものが手に入らない(CD化されていない?)のはもとより、今や、サヴァリッシュの盤も探せない。ウィーン少年合唱団によるものが、かろうじて手に入るばかりではなかろうか。渡辺学而氏は「単純素朴な美しさ故に演奏がたいへん難しい作品」だと言っているが、それなら、多くの練達の演奏家が挑戦するはずである。そうならないのは、おそらく、世界的な演奏家が腕をふるうには、曲の構造が単純で、演奏容易に過ぎるというのが真実であるように思う。しかし、それでこの曲が世に知られないとすれば、もったいないことだな、と思う。シューベルトの他のミサ曲のオマケにでもいいから入れてくれればいいのに・・・。


(余談)我が家のサヴァリッシュ盤の表紙には、ヨーロッパの田舎に建つ小さな美しい教会の写真が印刷されている。正に上の渡辺学而氏の文章に出てくる教会のイメージそのものだ。だから、長い間、私はそれをザンクト・アンドレーの教会だとばかり思っていたのである。ところが、ある時、『地球の歩き方 ドイツ 2005〜6年版』をパラパラと見ていて、同じ教会の写真に出くわした。それによれば、その教会は聖コロマン教会といい、ドイツ南部・ノイシュヴァンシュタイン城にほど近いシュヴァンガウという町にあるということだ。だったら、ザンクト・アンドレーの教会はどんな教会なんだろう?・・・という疑問は湧いてくるが、ともかく、そうして一つのことを知り、知識が繋がっていくというのは、この程度のことでも楽しいものである。