今、「ダブルスタンダード」の論理を・・・TPPの参加に関して



 2月3日『毎日新聞』に載った中野剛志氏の「TPP交渉への参加 日本有利が不可能なわけは」という記事は、甚だ明解なよい記事であった。私も、TPPへの日本の参加は非常に危ういと思っているので、中野氏とは別の観点で、若干思う所をまとめておこう。

 「ダブルスタンダード」という言葉がある。訳せば、「二重の基準」となる。「二枚舌」的な悪いニュアンスでも用いられるが、決してそんな悪い意味ばかりを持つのではない。私は以前、裁判所の憲法判断に関し、精神的自由権に関わることは厳しい判断基準を用い、経済的自由権に関わることは緩やかな判断基準を用いる、という理論として学んだことがある。TPPに参加するかどうかについて、私はこの「ダブルスタンダード」の理論を持ち出すべきだと考えている。

 政治というのは、国全体を対象とするわけだし、民主主義は最終的に多数意見に従うことを前提としている。だとすれば、工業にとってのプラスと農林水産業にとってのマイナスを比較衡量し、大きい方に従うことが国全体としての利益になる、と考えることになりそうである。戦後の日本は工業国なので、金額的に考えれば前者の方が圧倒的に大きい。だから、単純な損得勘定をすれば、後者に目をつぶって前者を取った方がよい、すなわちTPPには参加すべきだ、ということになる。非常に功利主義的な考え方だが、これが最も国民が納得しやすい。

 しかし、それは余りにも危険な選択である。なぜなら、工業が振るわなくても、国全体が貧しくなるだけであって、食べていけなくなるということはないと思うが、農林水産業が壊滅的ダメージを受けた場合、外国に頼らなければ生きていけないという状態が生じてしまうからである(今でも食糧自給率は40%ほどで、それに近い。しかも、日本は、給与水準の高さ、国土の狭さといった問題から、農林業において国際競争力を付けることが構造的に不可能なのである)。外国に頼らなければ生きていけない状態とは、外国が日本に食料品を売りませんよと言った時には、日本人は生きていけないという状態である。そして、農林水産業というのは、一度ダメージを受けると、容易には回復させられない性質を持つ。となると、生存を図るためには、せっせと外国の言い分を聞かなければならなくなる。これは国を他人に売ったことと等しい。もちろん、こうなるのはTPPに参加した直後ではなく、しかも必ずそうなるというものでもない。はるか将来にそうなるかも知れない、という話だ。

 これは、私がしばしば口にする「小さな利益は目前に、より大きな損失が将来に」という考え方と一致するだけのことだが、「民主主義国家」日本の現状を見ていると、そんなに遠い将来のことを考えるほど、民意はご立派ではない。民意は鼻先のニンジンに甚だ弱いのである。

 だとすれば、遠い将来まで見通して何かを判断するというのではなく、目前のこととして、全体の利益を追求するというひどく一般的な基準を一つ持ちつつ、ことが食糧自給に関することについては、いくら損得勘定で分が悪くても、農林水産業の利益を最優先に考えるという第二の基準を持つことにしてしまうのがよい。生存ということが人間(生物)の最も基本的欲求である以上、そうすることが、長い目で見れば確実に全体の利益としても大きい、ということになるはずである。