帰属意識の不思議



 珍しいほど寒い。日本海側の大雪のニュースにも胸が痛む。この2日間は、石巻でも白くなる程度の雪が降った。この程度だと、我が家から雪景色を見て喜んでいられる。実に美しい。

 寒くはあるが、一時に比べると日が長くなったことを感じる。秋が深まると、夏には見えない日の出が、我が家からもよく見えるようになる。太陽というのは、毎日観察していると、驚くほど南から北まで移動するものである。冬至の頃は、牡鹿半島のほとんど南の端近くまで日の出の位置が下がっていたのが、今やそこから5度以上北に上がってしまった。北に上がれば上がるほど、日が出るまで時間があるうちに空が明るくなるのも面白い。季節の移り変わりは、それだけで変化と心の豊かさをもたらしてくれる。

 さて、昨日は、昨年私が書いた論文を大学院生が中心となって批評するというので、久しぶりに大学に参上した。研究室に上がるなどということは1年半ぶりである。図書館までは時々行っていたものの、勤務先が変わってからは行く機会もなくなっていた。学生時代の劣等生意識を引き摺っているためか、学部の建物は敷居が高く、入るのにも気が重い。

肝心の批評会の方はともかくとして、不思議に思ったことがある。

 私は「中国哲学(通常は中哲と略)」という研究室の卒業生である。しかし、在学中は、メンツの関係で、東洋史研究室に出入りしている時間が長かった。一応の専門は「明代陽明学」というものだったので、学問的には紛う方無き中哲なのであるが、やはり東洋史の面々と仲良しだったのである。そのことが関係しているわけではないが、その後、私はもともとの専門というものをすっかり捨ててしまい、今回の論文も中国近代の文化史に関わるものであった。もはや中哲とは何の関係もないと言える。ところが、いざ大学に行くと、まず最初に顔を出すのは中哲であり、会が終わった後にお茶を呼ばれるのも中哲である。先生は中哲の先生も東洋史の先生も学生時代以来の知り合いで、学生研究室はどちらにも誰も知っている人がいない。レポーターとして私の論文を批評してくれたのは、当然のように東洋史の大学院生であった。にもかかわらず・・・なのである。これは、人間の帰属意識というものの不思議さをよく示していて面白い。

 職業柄、高校の同窓会というものに関わる機会も多い。そこには、例えば部活だと、直接は接したことのない者同士でも、同じ部活のOBだというだけで共有できるある意識があるのを感じる。私はそれを羨ましく思うこともあり、また、いかにもムラ社会的な日本特有の現象であるようにも思っていた(とはいえ、外国人にそのような意識があるのかないのか知っているわけではない)。

 私が中哲の部屋に出入りする時の心情を自己分析してみても、それがムラ社会的な共同体意識だとは思わない。私が懐かしさを感じているというわけでもない。謎は解けない。