闇の絵巻



 24日に、「今回の地震で」「よかったと思えることも同様に多数あります」と書いた。今日はそのふたつめに触れようと思う。

 地震のあった日の夜、学校の屋上に上った私が驚いたのは、星空の美しさだった。周囲の街灯も、家の明かりも消えた真っ黒な夜空に、正に「満天の星空」とも言うべき壮大な空間が広がっていた。それは、山に登って見た時の星空に決して劣るものではなかった。西の空は、市街地方面の火事のために、火柱が立っているように赤く焼けていたが、それとて、周囲の暗さがあればこそ、恐ろしげな火柱として見えたのであって、通常の街明かりの中で同じ規模の火事が起こったとしても、それほど不気味に、あるいは神々しくは見えなかったのではないかと思う。

 水産高校は、地盤沈下のためか、地震の後も毎日潮の満ちてくる時刻に冠水する、という話も書いた。1週間ほど前、満潮は17〜20時頃で、しかも大潮であった。学校番の教員は、20時に校門を閉め、玄関に鍵をかけることになっていた。玄関を出ると、潮が満ちている。短い長靴では校門まで行き着くことも出来ない。膝まである長靴を履き、水の中をゆっくりと、大きな波を立てないように進む。それでも足を前に踏み出すたびに、多少の波は立つ。その瞬間である。足もとから周囲に向って、不透明な黄緑色の光の輪がサーッと広がる。刺激を受けて光を発する夜光虫だ。海水の中至る所に、これほど多くの夜光虫がいるものなのか。それはまるで、オーロラを見るかのようだった。潮の香りも、心なしかいつもより濃厚である。

 自宅に戻る。我が家の南側には、もともと南浜町、門脇町の街明かりが見えていた。津波でその町並みが全滅してしまった今、そこには漆黒の闇だけがある。日本製紙の工場が大破して、ゴーッという音も消えた。音のない闇は更に深い。私がこの地に住むようになった頃にはなかったコンビニが、数年前に開店した。コンビニというのは驚くほど明るく目障りなものである。昨年5月24日の記事に書いたように、私は、静寂も闇も自然であり、それを壊すことは立派な自然破壊だと思っている。実際、「光害」という言葉も存在する。だから、事情が事情だけに、家々の明かりが消えたことまで喜ぶ気にはならないまでも、コンビニの明かりが消えたことは快感である。何もない場所にも、自衛隊が強引に道を付けると、車が通るようになる。こんな状況下でも、不思議なことに門脇町を夜走る車がある。その明かりが、時折スーッと流れては消える。カミオカンデの中を通過して、水の分子と反応するニュートリノの光は、光電子倍増管の目で見ると、このように見えるのではないか?などと空想したりする。

 漁港が大破して、接岸できないのであろう。昼間見ると、沖にたくさんの巻き網船が停泊している。海上自衛艦海上保安庁の巡視艇もいる。それらが夜には皓々と明かりを付けている。漁火のようでもあるが、それにしては明かりが近い。漁船の乗組員はどんな気持ちで夜を過ごしているのだろう。自分の家を流され、家族の安否を気遣いながら、どうしようもなくて船内に留まっているのだろうと思う。彼らの哀しみや焦燥のようなものが、どろどろと、彼らと私を隔てている深い闇に渦巻いているような気がする。

 梶井基次郎の『闇の絵巻』は、私の好きな作品である。一般には価値が評価されることなどなかった闇というものの魅力に着眼し、正に絵巻物として仕立て上げた佳作である。最後の一文には、「私は今いる都会のどこへ行っても電灯の光の流れている夜を薄っ汚く思わないではいられないのである」とある。日一日と電気が復旧し、地震当初に新鮮な感動を与えてくれた漆黒の闇が失われつつある今、その便利さを喜ぶとともに、梶井の感慨にたいする共感もまた心の中で今まで以上に膨らみつつある。