愛知で考えたこと(1)・・・愛知県高校生フェスティバル



 連休後半の3日間、高校生2名をつれて名古屋に行っていた。愛知県高校生フェスティバルの新歓行事に参加するためである。

と言っても、これを読んでいる多くの人には理解不能であろうから、少しだけ説明しておく。愛知県では、私立高校の生徒が中心となって、20年あまり前から春と秋に「愛知県高校生フェスティバル」というイベントを行っている。これは、もともと愛知県私立学校教職員組合連合という教職員組合が主体となって始めた私立学校に対する公費助成の増額要求運動があり、同時に、私立高校の教育の質を高める努力をする中で、学校の枠を超えて大規模なイベントを生徒主体で作り上げるという発想が生まれ、実行に移されたものである。私はこのことを、教員になって間もない頃、井上毅氏の全国教研レポート『地響きが聞こえる』と愛知私教連編の本『流れよ、教育の大河』(高文研刊、1990年)で知った。高校生が数万人規模の集会を開き、そのなかでぐんぐん成長するという姿に感動し、そのすさまじいエネルギーと規模に圧倒され、計り知れないロマンを感じたものである。

 たまたまその頃、生徒会の顧問をしていた私は、仙台市内に生徒会の役員交流会があることを知り、そこに出席して、彼らが学校の枠を超えて何かをしたいという衝動を持っていると確信するや個人的に画策し、愛知から先生と生徒に来てもらって宮城県の高校生対象の講演会を開いた。火は瞬く間に燃え上がり、それから3年ほどに渡って、宮城県でも「高校生フェスティバル」の嵐が吹き荒れた。この時期、私も生徒も、愛知の先生方と頻繁に交流して学び、愛知の新歓フェスティバルに、生徒とともに大挙して参加したりもしたが、宮城のフェスティバルは、間もなく、多くの成果と多くの反省を残して崩壊した。相次いだ不祥事に業を煮やして引導を渡したのは私である。少し苦い思い出だ。

 地震をきっかけに、愛知の先生と再び接触の機会が出来たという話は既に書いた(3月24日)。そうしたところ、先月の下旬、愛知私教連から、今年の新歓フェスに、被災地の高校生を連れて来てもらえないか、という話があった。宮城の活動が崩壊した後も、いや、無残に崩壊したからこそ、愛知に対する畏敬の念を強く持っていた私は、二つ返事で引き受けたのだが、本番までの時間が短く、準備も出来ないので、とりあえず知り合いの高校生を2名1本釣りでスカウトして、連れて行くことにした。正直に言うと、愛知私学に対する配慮だけではなく、声を掛けられてから急に、久しぶりで私自身が愛知のフェスを見てみたくなったという事情もあった。

 18年ぶりで見た愛知フェスの新歓は、非常に変わった点も、全く変わらない点もあった。会場が名古屋市民会館から愛知県体育館に移り、生徒のステージ発表を中心とする「公演」形式から、父母懇談会(愛知私学のPTA連合)の総会や、県知事、議員等も列席しての政治的なセレモニーと、生徒によるパフォーマンス、出店といった極めて多彩で総合的なイベントへと変わった。もちろん参加者も増え、巨大化はますます進んだ。一方、私学助成の増額を求めるという政治的な要求の内容、参加者のエネルギー、時間のルーズさ(終わりの時間がない=場面にもよるけど)などは変わっていなかった。残念ながら、私としては、かつてのフェスの方が高校生によって作り上げられ、高校生らしいメッセージの込められたまとまりのあるイベントとして、絶対に好きである。今回のは、大人の世界の政治的なショーとしての色合いが強く、高校生は演出のための道具といった感じがした。イベント全体としての目的が違うのだから、仕方がないことなのであろう。

 今回私が連れて行った生徒は、このような社会的なイベントとも、生徒会とも無関係な、いわば「意識の低い」無色透明な高校生である。二人とも、けっこうつまらなさそうに、「疲れた」とか「暑い」とか「腹減った〜」とか言いながら、それでも彼らなりに努力して、愛知と、そこに全国から集まった高校生に向って自分たちの周囲の状況を伝えようと努力していた。しかし、私は、彼らがフェスに好印象を持ったようには思っていなかったのである。

 ところが、今日、新幹線で帰る途中、彼らは「また行きたい」と繰り返していた。これは非常に意外だった。可愛い女子高生と知り合いになれたわけでもないのに、自費でもいいからまた行きたいと言うのは本物だ。何が彼らの心を動かしたのかはよく分からない。ただ、彼らは、なんだか自分たちとは全く違う、とてつもない高校生達がこの世の中にはたくさんいることに気付き、そのことに衝撃を受けたらしい。また、てんでバラバラな制服を着た高校生達が、大人数で、一緒に何かを楽しそうにやっていることに対して、うらやましさを感じ、混ざってみたいという衝動も覚えたようだった。

 こうして、異質な者の心を動かし、巻き込んでいったというのは、今までのフェスの姿そのものである。すばらしい。で、今日は前置き。私が今回考えたあれこれは、明日以降もう少し書いておくことにする。