「エアコン」の条件反射



(7月6日付第2次月曜プリントより加筆転載)

 七夕の日に曇って星が見えないというのは、もう10年以上続いているような気がする。どんよりと曇り、ヤマセが吹いて肌寒い、というのが例年の七夕のような気がするが、今年はやけに蒸し暑い。

 さて、仮設校舎は確かに過酷である。特に2階は、直接太陽に焼かれ温度は急上昇、廊下側に窓が少ないので風が通らない、庇が全くないので、少しでも雨が降ると窓を開けられない。加えて、教室が若干狭く作られている上に、E1(情報科学科1年)は41人という大所帯、職員室ではパソコンやコピー機が熱を放出し続けている。というわけで、石巻でありながら、各部屋にエアコンが付いているのは仕方のないことだろう。

 しかし、教室に入ると、空気がひんやりとして気持ちいい・・・などと喜んでいる場合ではない。そんな時にエアコンの設定を見ると、大抵20度になっている。E1だけのことではないが、ひどい時には、窓を全開にしてエアコンを付けていたり、エアコンを付けっ放しにして他の教室に授業に行っていたりする。エアコンの動いている教室で、窓を開けるとひんやりする(つまり外の方が気温が低い)などという時さえある。人間(とまで拡大してよいかは?だが)というのは、便利なもの、快適なものが目の前にあると、節度も思慮もなく使わずにはいられないのだな、と寂しい気持ちになる。

 「車」や「パソコン」が典型的な例だが、便利なものは確実に人間を退化させる。エアコンに頼るシステムを作っていけば、人間がもともと持っていた体温調節の高い能力や忍耐は失われ、熱中症になりやすい体だけが作られていく。加えて、今年は、火力をも含め、多くの発電所津波等でダメージを受け、電力事情が非常に厳しいという社会的問題がある(裏面に6月29日付『河北新報』の記事引用)。いや、電力事情が厳しくなくても、エネルギーなんて使わないに越したことはない。

 「エアコンがある→使おう」というだけの、幼稚で短絡的な発想(むしろ「条件反射」と言うべきか?)を、一歩立ち止まって考え直して欲しいと思う。学校から示されている、エアコン使用のルールが守れないようだったら、いくら暑くてもエアコン禁止にすればいいのに、と私は思っている。自分の行為が、周囲に、そして将来にどのような影響を及ぼしていくのか、それを考えられるようにするのが「勉強」というものだ。