「愛知の私学」という生き方?



 3連休、1人で名古屋へ行っていた。5月の末に愛知私教連のT君から、愛知高校生フェスティバル顧問団長のM先生が、私に「サマーセミナー」(←説明は後日)に来て欲しいと言っていると打診があり、名古屋は大好きなので、二つ返事で引き受けたのである。近々、M先生から直接話があるだろうということだったが、その後、M先生から音沙汰はなかった。

 6月11日に、愛知から高校生ボランティアが大挙して石巻に来た時、たまたまM先生に直接お会いできた。「よろしく」と言われたので、「準備の都合があるから、名古屋で何をするのか、できるだけ早く詳細に教えて下さい」とお願いをした。しかし、その後、また音沙汰はなかった。

 私の出番がいつかということすら分からないのは、予定を立てる上で非常に困るので、6月末にT君に電話をして(M先生に直接電話をするのは何となく恐れ多かった)、「サマーセミナー」のチラシを送ってもらった。これで、私が17日14:50〜17:00に行われる高校生シンポジウム『震災から見える学校の存在とは』で必要とされていることはおよそ検討ついたが、詳細はよく分からない。ようやく7月10日になって、遅れたことをわびつつ、M先生からその流れと、私がどのようなことについて話をすべきかが書かれたメールを受け取った。いくつか質問を書いて返信したが、ついに当日まで回答はなかった。

 と、このようにいきさつを書いてくると、愛知(またはM先生)の準備が、いかにデタラメかがよく分かる。普通に考えれば、6月末には、私が本当に行く必要があるのかどうか疑念の生じるところだし、7月に質問への回答がなかったところで、誠意が疑われ、腹の一つも立とうか、といったところであろう。

 しかし、私はそんなことは思わなかった。「ははぁ、やっぱり愛知だな」と思っただけである。私は昔の愛知との関わりの中で、愛知私学(または高校生フェスティバル)という所が、一般的に見ればデタラメで、そのかわり柔軟で、規則や文書といった制度的なものを抜きにして、人間の感覚によって事を進めてしまう場所であることを知っていたからである。「高校生フェスティバル」であるとおり、組織は高校生の性質を反映してか、用意周到と言うより(しかし、彼らは場面によっては非常に用意周到、緻密である。メリハリというものであろう)、間際の勢いで何とかしてしまうのである。「来い」と言われれば、行けばよい。それで何とかなるやり方を彼らはしているはずであり、彼らが予定しているやり方で何とかならないなら、何とかなるようにその場で考えるはずなのである。私の中には、そういう不思議な信頼があった。

 一応「依頼」による訪名ではあるが、交通費等の必要経費は出るのかなぁ?と少し思っていたところ、出番の直前にM先生から「交通費」と書かれた封筒をいただいた。金額はどんぶり勘定、サインもハンコも必要なし。これまた愛知である。

 思えば、もともと規則や制度、契約というものは、人間社会を機能的で円滑に成り立たせるためにある。にもかかわらず、それらが人間を縛り、窮屈にさせている場面は多い。メディアの発達のせいなのか、ホンネよりもタテマエが幅を利かせる社会になるに連れて、そのような傾向は強まってきたと思う。実に息苦しい。私が愛知私学に対して感じる親しみや安心感とは、そのような人間を離れたシステムに対する一種のアンチテーゼである。

 5月に行ったばかりで、しかも、その時も、3回にわたって「愛知」を連載したのであるが、何しろ「サマーセミナー」という大イベントを見に行くのは初めてだったこともあるので、明日以降、今回の訪名について、もう少し書き足しをすることにする。