リラ・オルガニザータ



 エレキギターとロックはどちらが先に生まれたか?という問いに答えるのは難しい。ロックという音楽ジャンルなしで、エレキギターが存在の意味を持つとは思えず、エレキギターなしでロックが演奏可能であるとも思えない。それらは表裏一体、不可分なのである。楽器と音楽の歴史は、多かれ少なかれこのような性質を持っている。作曲家は常により新しく豊かな表現を求めていて、現存の楽器の能力を最大限引き出してしまうと、楽器の改良と発明を待ち望み、楽器が改良、発明されると、その特徴を最大限引き出すべく腕を振るう。従って、音楽史が面白いのと同様に楽器史は面白く、むしろ、楽器史を離れた音楽史など存在しないと言える。

 さて、まだひたすらハイドンを聴いている(事情の分からない人は5月20日の記事参照)。ただ「聴いた」という事実が残るだけでは意味がないので、今のところ、107曲の交響曲を繰り返し繰り返し聴いているが、時々、ふと思い立って、道草などしてみる。

 ハイドンの協奏曲の中に、『リラ・オルガニザータのための協奏曲』(以下、『リラ協奏曲』と略)という珍しい作品が5曲含まれている。これらの曲に関しては、日本人・大宮真琴氏が世界の第一人者であり、ドイツにあるハイドン研究所が出している『ハイドン全集』でも、『リラ協奏曲』の楽譜は氏の校訂によっている。氏には『ハイドン全集の現場から』(1990年、音楽之友社)として出版された学位論文があって、『リラ協奏曲』に関する深い造詣に接することが出来る。

 「リラ・オルガニザータ」とは、もちろん楽器の名前なのであるが、私が持っているハイドンの協奏曲全集(Naxos 8.506019)では、そんな楽器は登場せず、リコーダーやフルート、オーボエといった木管楽器で代用されている。大宮氏の著書(論文)にある録音リストでは、実際にリラを使って録音されたものが載っているが、手に入りそうにない。かつてあった楽器で、現存していないものは珍しくない。リラもその一つなのだろうか?

 大宮氏によれば、リラとは、胴に張られた弦を、ハンドルの付いた円盤を回すことで摩擦し、音を出すものである。バイオリンの弓の代りに円盤、なのである。「オルガニザータ」とはオルガン機能(弦の他にパイプ)が付いているということらしい。「リラ」とはイタリア語であり、ドイツ語では「ライアー」「ドレーライアー」、英語では「ハーディ・ガーディ」、フランス語では「ヴィエル」と言って、フランスの一部の地方では今でも使われているという。つまり、現存しているのだ。

 探してみると、ハイドンの協奏曲ではないが、リラ(ただし、オルガン機能なし)を使った録音は出ている。早速買ってみた。『Les maîtres de la vielle baroque』(cpo999864-2)というものである。ライナーノートの写真を見ると、なかなか新しくて立派な楽器を演奏に使っており、過去の遺物という感じではない。聴けば、確かにバイオリンの音とよく似ている。ドローン弦(共鳴用の遊び弦)が張られているため、ビンビンと響く音が、私の感覚では雑音に聞こえて耳障りである。

 何事につけても「オリジナル」ということが大切にされる今日、なぜ、ハイドンの協奏曲が、現存するリラを使わず、しかも、音を出す原理がよく似ているバイオリンではなく、木管楽器によって代用演奏されるのか分からない。

 18世紀に貴族の間で爆発的に流行した楽器らしいが、その命は短く、19世紀になると急速にその地位を失っていく。人間の好みというものも不思議である。

 ハイドンは、自分自身の音楽的欲求に基づいてではなく、ナポリ王フェルディナンド4世の注文でこれらの曲を書いた。しかし、相当な愛着を感じていたらしく、一部をいくつかの交響曲に転用している。注文によって書いた作品ではあったが、勤勉なるハイドンとしては手抜きをすることも出来ず、真面目に書けばこの楽器なりの面白さが発見され、愛着も湧いて、曲をこの流行楽器の枠に閉じこめておくことがもったいなくなった、ということなのだろうと思う。せっかく楽器が現存しているのだから、ハイドンがどのような工夫を凝らし、この楽器の能力を引き出したのか、一度聴いて確かめてみたいものである。