工業技術に関する二つの番組



 日本の工業技術に関するテレビ番組を二本見た。一つは、16日夜の『山田洋次SLを撮る─よみがえった名機関車』、もう一つは、24日夜の『東京スカイツリー』である(ともにNHK)。録画で見たので、感想を書くのが今頃になってしまった。

 前者は、タイトルに偽りありだ。おそらく山田洋次が撮っているシーンというのはごく僅かで、ほとんどは、NHKのカメラマンがC61の修復作業を追い、合間合間に鉄道好きな山田洋次が主に見学者として登場する、という番組である。

 SLについては、過去に何度かこのブログでも取り上げたことがある。そこで私は、「この巨大な鉄の塊は、呼吸していて、ひどく人間的なのである。汽笛の音も温もりがあってよい。駅で静かに呼吸をしている音を聞いていると、あまり気の合わない人よりは、むしろSLの方に親しさを感じるほどだ」(2007年10月22日)とした上で、「SLの持つ人間的な温かさ、親しさは、普通の人間が技術を身に付けることで、隅から隅まで作ることも直すことも可能だという点に、その本質的な原因があると私は見ている」(2008年10月27日)と書き、「SLというのは、文明がまだ人間的な、言い換えれば、文明に人間が振り回されるのではなく、人間が文明をコントロールできていた時代の、頂点に位置する成果のように思われるのである」(2007年同前)と書いた。

 公園に静態保存されていたC61が解体され、部品の一つ一つが丹念に検査され、修理されていく。磨く、溶接する、リベットを打つ、といった作業は、熟練を重ねれば、正に普通の人間が単純な器具を使うだけで出来るものである。それでいて、再び組み立てられたSLは、なかなか立派な完成された工業製品だ。自分がかつて書いたことの正しさを再認識しながら見つつ、温かみのある手作業、技術というものに感動を覚えた。

 東京スカイツリーは、文句なしに時代の最先端だ。私が、学問・技術にせよスポーツにせよ、最先端とか一流というものに並々ならぬ興味関心を持つことは、多分身近では有名な話だろう。そんな私にとって、スカイツリーはこの上ない好奇心の対象だ。設計を担当した日建設計には、かつて見学に行って技術者の皆さんから親しくお話を伺ったこともあるので、設計者に対する親しみも感じながら見た。

 残念ながら、私の好奇心や疑問は十分に満たされ、解決されたとは言えない。あの軟弱な地盤に、どのようにして強固な基礎を築いたのかにはほんの少し触れられたが、塔全体でどれくらいの重さがあり、それがどのように分散され、各部材にどれくらいの力が加わり、地震や強風でどれくらいの力が加わることが想定され、それに対処する特別な工夫があるのかないのか・・・?設計だけではない、部材は「鉄骨」と言われても、「鉄」が一種類のわけはなく、この塔を支えるために使われた「鉄」は、一体どのような「鉄」なのか・・・?

 1時間という枠で、高度な技術の全てについて伝え尽くすことが出来ないのは当然なのだろうが、それでも、塔を支える技術にスポットを当てずに、変にドラマ性を持たせようとした番組構成には、どうしても恨みが残る。これだけ高度な技術の集積物になると、ドラマを仕立てるよりも、技術を淡々と解説した方がはるかにドラマチックな番組になったはずである。