学校の外の「卒業生」



 昨夜は、仙台市内で30代も半ばを過ぎた8名の「卒業生」と酒を飲んでいた。「卒業生」と「 」を付けたのは、私は彼らのうちの誰とも学校の中で付き合っていたことがないからである。

 宮城県に、わずか3年間ほど、「みやぎ高校生フェスティバル実行委員会」という組織が存在し、高校生達が学校の枠を超えて集まり、大きなイベントを企画していた(本ブログ昨年5月5日の記事参照)。仕掛け人であり、一応、大人の責任者として関わっていた私は、当時女川に勤務していたにもかかわらず、週に3日は仙台に足を運び、仙台に行かない日は、日付が変わる頃まで自宅の電話が鳴りっぱなし、という生活をしていた。多い時だと、県内30校200人くらいの高校生と関わっていたと思う。その時の「卒業生」である。

 そもそも、なぜ当時私がそんなことをしていたかというと、いろいろと理由はあるのだが、高校生が自分の学校に閉じこもることに疑問を感じていたというのが、重要な理由の一つである。この考えは今でも変わっていない。小学区制が敷かれ、各学校が極端に均質化されているならまだしも、日本のように、偏差値による輪切りで進学先が決まり、それによって学校のタイプが分かれているとなれば、学校の中に閉じこもっているのは由々しきことである。人間が成長するためには、頭を思い切り揺さぶる必要があり、そのためには異質な者との出会いが欠かせない。特に価値観において、それは重要だ。あれから20年経つが、事態は一向に良くなっていない。不幸にして、日本はヨーロッパと異なり、スポーツですら学校対抗という路線を進んでしまった。

 さて、昨夜はその実行委員会(主に第2期)に所属していたOとTが、相次いで結婚したので、そのお祝いということであった。集まった8名の出身高校は7校に分かれる。私は「平居先生」ではなく、「平居さん」である。楽しく、日付が変わる頃まで飲んだ。この雑然とした集団には、やはり一種独特の面白さがある。この人間関係は、私にとって非常に大切な財産だ。

 その面白さは、単に複数の学校から集まっているからというだけで生まれたわけではないかも知れない。学校から時間も金も保証されていない中で、あえてそのようなことをやってみようとしたからには、もともと強い能動性と問題意識を持った人たちだったとも考えられるだろう。学校の管理を受けていないだけに、いい意味でも悪い意味でも自由にのびのびとやれたということが、ユニークな集団を作ったとも考えられる。いずれにしても、生徒のやることに学校(大人)が責任を持つという状況の中では、絶対に起こり得ないことだ。

 未成年なのだから、「管理」を受けるのは当然、というのは「公」の論理である。大人も子どもも同じこと。やはり、多少の失敗や不祥事はいいから、自由に、のびのびと、自分の問題意識に従って何事かに取り組んでこそ、本当の成長はあり、いい仕事も出来るのだ。むしろ、子どもであればなおさら、と言うべきだろう。

 今、私が改めて県内の高校生を組織するなどということはできない。しかし、何らかの形で、またそんな集団が出来ないかなぁ、と未練にも似た気持ちがわき起こるのは少し感じてしまった。