時間があっての「質」



 私の所属する2学年が、今日から3日間、学年閉鎖になってしまった。インフルエンザB型だそうである。先週の木曜日に、学校全体(400名)でわずか3名ほどだったインフルエンザが、金曜日には「疑い」も含めると一気に60名以上になった。そして、今日は診断が確定した生徒だけで40名、「疑い」を入れると欠席が100名以上となり、欠席率が約4割に達した2年生だけを、とりあえず学年閉鎖にした、というわけだ。私は、これほど急激に感染が拡大した伝染病を今まで知らない。ただのインフルエンザではなく、何か非常に危険な新種の伝染病なのではないか、と不安に思ったほどである。

 最近の学校というのは、授業を中止すると、理由に関係なく、土曜日や夏休みに振り替えるので、全然嬉しくはないのだが、とりあえず今日の授業がなくなった解放感がないとも言えない。

 暇にはならない。私は、先週実施した春休み明け課題テストの採点に精を出していた。実は、いったいいつ採点すればいいのだろう?と頭を抱えていたのである。たまたま当の2学年担当だったばかりに授業がなくなり、他学年の先生方には申し訳ないが、膨大な時間が確保できることになった。

 課題テストの後半は、作文問題である。いつもだと、せいぜい誤字の隣に赤線を引くくらいが関の山なのだが、今日は時間に余裕があるので、生徒の書いたことに返信するかのように、いちいちコメントを書き込みながら採点が出来た。やりながら、これがあるべき姿だな、と思う。私から反応があれば、生徒だって具体的な問題に気づくことも出来るし、自分が見つめられているという実感が持て、やる気も出て来ようというものだ。やっている側だって徒労感がなく、楽しい。とにかく、1時間でも多く授業時数を確保しろ、教員が自由な時間を持つことは公務員としての服務に反する、みたいな発想に陥ると、結局、ただ形だけやったことにする、ということになってしまうのだ。量より質。そして質は自由に使える時間に比例する。インフルエンザも悪いことばかりではない。