ふるえる葦・・・オーボエの歴史をたどる



 私が愛聴するCDのひとつに、『パンの笛』(COCQ-83281/2)というものがある。副題に「フルート、その音楽と楽器の400年の旅」とある。私の畏敬する世界的なフルート奏者(フラウト・トラヴェルソ奏者)有田正広氏が、1530年から現在までの13種類のフルートを使って、それぞれの時代の音楽を演奏したという学問的な(?)CDである。

 私は、音楽を愛すること並々でないのだが、果たして、私が好きなのが音楽なのか音楽史なのかというと、はたと考え込んでしまう。それほど、先人の遺産を受け継ぎながら、新たな段階を作り出していくという、歴史的発展の様子は面白い。そして、それを演奏でたどり、文献で補足しながら、大きな知の体系を作り出すことが出来るからこそ、クラッシックの世界は楽しいのである。

 それは、楽曲史だけではなく、楽器史でも同じことだ。演奏者や作曲者の新しい表現の可能性への欲求が、古い楽器の改良、新しい楽器の発明へと結び付く。演奏会場が貴族の屋敷・教会からコンサートホールへと変り、コンサートホールが巨大化していくことも、楽器の歴史に反映されてくる。そして、フルートというたった一種類の楽器の歴史にも、音楽史の本質は凝縮されて表れている。つまり、表現の欲求は、より多くの細かい音を安定的に素早く演奏できるようにすることを求めるし、演奏会場の変化は、より大きく輝かしい音を求める。それらをかなえようとしたことが、フルートという楽器の歴史だということになるだろう。

 しかし、新しい何かを手に入れることは、同時に、それまであった何かを失うことにもなる。20世紀の後半になって、バッハやヘンデルを、彼らの時代の楽器(ピリオド楽器)で演奏することが脚光を浴びるようになったのは、ピリオド楽器にはピリオド楽器なりの良さがあるということに、人々が気付いたからである。例えば、私は、以前(2011年8月23日)トランペットについて書いたことがあるし、フルートだって、バッハの時代のフルート(フラウト・トラヴェルソ)には、音の安定性や華やかで輝かしい音色がない一方で、素朴で温かな響きがあった。音が安定し、華やかで輝かしい音色になることは、進化なのだろうか?変化なのだろうか?ということになる。いや、見方によっては退化と考えることさえ出来る。

 先週土曜日の夕方、東北学院大学泉キャンパスの礼拝堂で行われた、「時代の音 レクチャーコンサート」というのに行った。3回行われる今年のテーマは「ふるえる葦〜バロックオーボエの魅力〜」。先週はその第1回で、「〜時代と共に変化する楽器〜16世紀から21世紀の様々なオーボエ」として、バッハ・コレギウム・ジャパンオーボエ奏者三宮正満氏が、16世紀末から現代までの13本だか14本だかのオーボエによって、音楽史をたどるという企画であった(伴奏は山縣万里。こちらもチェンバロフォルテピアノ、ピアノを弾き分ける)。三宮氏は、オーボエの歴史をたどるために、オーボエ属(ダブルリード楽器)の民族楽器をも4種類(ズルナ、スオナ、篳篥チャルメラ)持参して吹いてくれたので、この日聴いたのは、17本か18本になる。説明はさほど詳しいものではなく、最後に質問の時間も無かったのは残念だったが、そういうやり方をしても、2時間半近くかかった。期待していたとおりに面白い。2時間余で、人類の400年の歴史を凝縮して見せてもらった感じがした。

 有田氏のCDも13種類、この日の三宮氏も13種類(14かも?)というのは、偶然の一致なのかどうか?バロック時代に、くぐもった優しい音を出していたオーボエが、古典派の時代になると、キーが増えることによって音程が拡大した上に音の安定性が増し、管の内径が細くなることで、音色が輝かしくなった、というのも、両者ほとんど同じだ。おそらくこのことは、人間にも当てはまる。ある「時代」という得体の知れない全体に、あらゆる要素は支配され、否応なくそれを反映させているのだと思う。

 集まった聴衆は、わずか200人ほどであった。新聞にもずいぶん繰り返し広告が載っていたのに、もったいないことだと思う。