ハンス・ロットの交響曲



 名古屋マーラー音楽祭のプログラムを見ていて、ハンス・ロットという作曲家の存在を知った。マーラー交響曲10曲を演奏するに当たって、いくら大曲ぞろいだとは言っても、1曲だけでは演奏会が成り立たないからと、いわば前座のような形で、マーラー以外の曲を演奏するのは不思議でも何でもないが、マーラー音楽祭のメインプログラムとして、このハンス・ロットという人の曲が演奏されるのは、奇異な感じがした。

 気になったので、この曲のCDを探したところ、思いの外容易に見つかった。セバスティアン・ヴァイグレ指揮、ミュンヘン放送管弦楽団による税込み1000円の国内廉価版(BVCE-38080)であるが、驚いたことに、24ページにも及ぶ解説書が付いていて、ハンス・ロットが何者かということについて詳しく知ることが出来る。なるほど、マーラーよりも2歳年上ではあるが、ともにウィーン音楽院で学び、マーラーはその才能を高く評価し、感性における近親性をも強く意識していたらしい。オルガンの師であるかのブルックナーも、その才能を評価すること並々ではなかったようだ。よくこんな人と曲を見つけ出してきて、マーラーに先行する作品として、よりによって「マーラー音楽祭」で取り上げたりするものだ。博識と余裕に感心する。

 声楽を含まない、伝統的な4楽章形式の交響曲だが、演奏時間は55分もかかる。マーラーの第1番とほぼ同様の規模である。何回か繰り返して聴いても、感動するというほどでもないが、退屈もしない。55分という時間を考えるに、それなりに良くできているということなのだろう。マーラーに多くの影響を与えたというよりは、ワーグナーブルックナーからの影響の大きさを強く感じる。金管楽器の多用や、背後での弦の動きなど、ワーグナーもしくはブルックナーそのものだ。ワーグナーという人は、若い頃にしか交響曲を書いていないが、中年になってから書いていたとしたら、こんな曲になっていたのではないか、と思った。とはいえ、この曲を書いた時、ロットはいまだ20歳に過ぎない(!!!)。

 ワーグナーブルックナーの影響を強く受けていたことが、ブラームスに強く批判される結果を招いた。ブルックナーによる高評価も、火に油を注ぐことになったようだ。ブラームスによる冷たい批判によって、繊細なロットは精神を破綻させ、正常な意識を失って、22歳で精神病院に収容され、わずか26歳で死んでしまう(直接の死因は肺結核)。ブラームスに批判されていなかったら・・・などという「if」の議論は、意味がないだろう。人間、生きていれば、価値観の違う人間から冷たく扱われるなどということは必ずあるわけで、それで気を狂わせたとしたら、所詮その人がその程度の人間だったということにしかならない。私は同情も惜しみもしない。

 ロットは、自分の交響曲がオーケストラによって演奏されるのを聴くことはなかった。しかし、たまたま学友マーラーが歴史に残る音楽家になったために、光を当てられることになった。ガラスのような精神を持ち、それ故に夭折した作曲家としては、幸運と言うべきだろう。マーラーとの関係を抜きにして、一人の作曲家として評価され、数少ない作品が永く大切にされていくのかどうか・・・?私にはまだ分からない。