不思議な体験・・・宮城県入試懇談会に出て



 先週の金曜日に、仙台駅の隣、アエルの28階で行われた「宮城県入試懇談会」というのに出席した。ここで言う「入試」とは高校入試のことで、主催者は全国学習塾協会北東支部である。

 以前にも書いたことがあるとおり、私は水産高校の企画情報部という部署に所属していて、これは学校紹介、中学生勧誘を専らとしている。要は、宮水宣伝係である。だから、「入試懇談会」に出席するのは、一見不思議でも何でもない。ところが、宮水がこの会に出席したのは今年が初めてで、それは、要項を見ながら、「宮水が行くような場所じゃないんじゃないの?」と敬して遠ざけていたからである。指定はしていないものの、明らかに私立高校あるいは進学校中心の企画で、確かに、宮水が行っても、「何しに来たの?」と言われそうな雰囲気が濃厚に漂っていた。しかし、企画情報部内で検討の結果、手当たり次第に顔を出していれば、そのうち「宮水さんてどこにでも来てますよね」とか言われながら、認知度が高まっていくのではないか、ということになって、今年はあえて参加してみることにしたのである。

 時間ギリギリに会場に着くと、主催者(長)が、ずいぶんにこやかに「お待ちしていました。楽しみにしていましたのでよろしくお願いします」と頭を下げる。当然「ご挨拶」だと思った。

 3日間続きの日程の最後、午後の部で学校紹介のスピーチをするのは9校。持ち時間はわずか10分。聴衆は、県内の学習塾の主宰者や先生、60人くらい。参考までに、スピーチしたのは、発表順に泉松陵、泉、白石、一関高専、仙台三高、仙台三桜、富谷、そして函館ラサールで、最後が宮水。このオチの付け方はなかなかに笑える。私は、出席者の多くが、ラサールの前か後で席を立つと予想していた。

 開会の挨拶の中で、主催者が、「今年は実業高校から初めて、宮城県水産高校さんが来て下さいました」とわざわざ言っていた。儀礼的な感じはなかった。どうも主催者は本当に、「なんで宮水なんかが来るの?」ではなく、「来て下さいました」と思っているのではないか、という気が少し(ほんの少し)してきた。

 泉松陵以下、半数の学校はパワーポイントを使って発表した。それ以外の学校も、内容は予想通りのパターンである。どんなに授業時数を確保しているとか、文武両道だとか、カリキュラムがどうなっているとか、どこの大学に何人入っているとか、である。唯一、函館ラサールの先生だけが、少し「人間の言葉」らしきもので語っていて面白かった。

 意外にも、ラサールの前でも後でも、人は席を立たなかった。

 私は、三高やラサールと同じ土俵で話をしても仕方がないと分かっていたので、彼らのパターンは踏まず、来春からの入試制度がどうとか、学科類型の説明とかも一切せず、どんな面白い実習やイベントがあるか、大学を出ていない船員上がりの教諭というのがいて、その人達の話がいかに面白く、人間的にもユニークであるか、みたいな、まあいわば「雑談」を9分間して、勉強にさほど自信がない生徒を、目的もなく普通科に行かせるのなら、宮水のような学校を考えてみるのもいいんじゃないの?というような結びを述べた。特別上手に話せたという気はしなかった。「まあ、こんなもんかな」という感じである。

 一方、礼儀作法として退席しなかったというだけではなく、うなずいたり笑ったりしながらひどく真面目に聞いてくれた、という実感はあった。主催者が閉会の挨拶をしている時に、宮水のパンフレットを熱心に眺めている人が何人かいた。

 終了直後、主催者(長)が真っ直ぐに私の所に来た。「いやあ、面白く聴かせていただきました。ぜひ今後も来ていただきたいと思います・・・」と言われた。どうも「ご挨拶」ではなさそうだ。

 ばらばらと解散し、塾の先生が目当ての学校の所に話をしに行くということもほとんどない中、私の所には、3人の人が名刺交換をしたいと来てくれた。

 なんだか実に不思議な体験をしたような気になった。他の学校の先生(教頭とか教務主任!)の話があまりにも通り一遍でつまらなかったので、結果として私を引き立てることになったのは確かだが、どう考えても、出席した方々の塾から宮水を受ける生徒がいるとは思えない。今日の話を聞いて、「よし、だったら宮水に」ともならないだろう。しかし、主催者も非常に好意的に扱ってくれたし、わざわざ名刺交換を希望する方もいた。「いったいどうして?」と尋ねるのも間が抜けているので、私からは御礼を述べただけだが、果たして彼らは何を考えていたのであろうか?彼らの心の奥底に、偏差値だけを物差しにして、ブランド性の高い高校に生徒を押し込むことへの後ろめたさがあった所へ、私が違う価値観を持ち込んだものだから、本心から共感した?ただ「雑談」として面白かった?単に物珍しい?・・・ 

 それから2日が経つ。私はいまだにその「不思議な体験」の意味を考えている。