王城寺原の哀しい演習



 昨日書いた吉田小学校升沢分校は、過疎化の影響で閉校になったというお決まりのパターンではない。単に学校が無くなったのではなく、升沢という集落自体が無くなったのである。それは、34世帯84人が暮らしていた升沢集落の近くに、王城寺原という陸上自衛隊の演習場があって、その砲撃音被害を避けるため、遅くとも2000年(平成12年)までに集団移転することになったからだ。生徒数が1名というのは、自然にそうなったのではないのである。現在、升沢集落跡の空き地には、防衛施設庁の管理地であるという旨の立て看板がたくさん建っている。

 総体の3日間、土日を含んでいるというのに、演習の砲撃音はずっと聞こえ続けていた。直線距離で10キロ離れ、間が山で隔てられている泉ヶ岳の南麓でさえ、その音はかなりの大きさで響いているのである。顧問同士で、その音を聞きながら、山中、以下のような会話をした。

「演習って、一年中ずっとやってんのかなぁ?」

「ほんと、土日もだよ。」

「どーんって一発で、俺達の一ヶ月分の給料くらいのお金は飛んでるんだろうな?」

「もっとじゃないの?これだけ遠くまで空気を振動させるんだから、すごい威力だ。」

「年にいくらかかってるんだろう?こんなに演習しなければ、今度の給与カットだってきっと必要ないのに・・・。」

自衛隊もご苦労さんだけど、そうそう簡単に戦争が起こらない世の中だと、モチベーションを維持するの大変だろうね。本当に必要と言うより、実弾を撃ってないとモチベーション維持できないんだよ、きっと。」

「だけど、王城寺原の演習って、明らかに地上戦のだよね。今時、仮に戦争が起こったとしても、地上戦ってあり得るのかなぁ?」

「確かに・・・。ロシアが北海道に上陸するとか、北朝鮮佐渡に攻めてくるとか、ちょっと考えられないよな。中国が尖閣諸島に上陸したって、島小さすぎて、地上戦にならないし・・・。」

「うん。やっぱり今の戦争は飛行機かミサイルで、地上部隊は何かするとしても対空攻撃だけだよ。」

「だったらやっぱり、あの王城寺原の演習って何なの・・・?」

「一生懸命何かをやって、頑張っている気分になること、頑張ってますって言えることが大切なんじゃない?実質なんてどうだっていいのさ。今の学校だって同じじゃん。」

「まったくだ。余計で無意味な仕事やたら多いよなぁ。」

 会話の出発点は、「うるさい」とか「もったいない」だったと思うのだが、気が付けば妙に身につまされる哀しい話になっていた。


(補)自衛隊の演習についての誤解があったらごめんなさい。