鬼首と須金岳



 3日間、山へ行っていた。例によって、登山の新人大会というのにお呼びがかかったのである。場所は、大会での使用が初めてとなる鬼首(おにこうべ)である。高体連登山専門部の新人大会は、従来、栗駒山、大東岳南蔵王の3コースをローテーションしていたのだが、2008年の岩手・宮城内陸地震栗駒山が使えなくなってしまった。新しいコースを見付けるのなど簡単そうなものだが、150人を超える人間が3日間を過ごす訳だし、公的なイベントとなれば安全確保の基準も厳しく、なかなか現実的に使えるコースを見付けるのは難しい。蔵王のコースを複数化するなどしてしのいではきたものの、あまり面白くないので、今回新しいコースとして鬼首山域を見出した、というわけである。それが、栗駒山の復旧が進み、裏掛けコースを除く全てのコースが使えるようになったというニュースが流れた直後だというのは、なんとも皮肉なものである。

 「鬼首」と書いたが、宿泊が鬼首(吹上高原キャンプ場)だったというだけで、登った山は須金岳(すがねだけ、1253m)である。鬼首を中心とする一帯は、直径15キロ近い日本でも有数のカルデラとなっている。通常、鬼首に登山に行くと言えば、その外輪山の中で西にある禿岳(かむろだけ、1262m)やカルデラの中央丘である荒雄岳(984m)が対象となる。須金岳は北にある。キャンプ場から登山口までは、バスで20分ほど走らなければならない。

 私はこの山を、30年近く前に『宮城県の山』(山と渓谷社、1984年)というガイドブックで知った。だが、登山口から頂上までの標高差が900mもある上、外輪山の内壁を登る登山道は急で、頂上部分は平坦。途中、沢や湖といった変化があるわけでもない。しかも、本当の頂上に登る道はなく、頂上に近い1241m地点が、登山道の最高地点である。樹林の中の急斜面をひたすら登って下りるだけ、頂上にも立てないつまらない山に見えた。私は、一度もこの山に足を運ぶことがないまま、やがて忘れ去っていた。今回、大会だということで、否応なくこの山に登ることになった。自分では行く気にならなかった山だが、不意に登るチャンスが与えられたことはなんだか嬉しい。

 須金岳に登ったのは昨日である。雨が降るような予報だったが、天気は1日持ちこたえてくれた。このどんよりとした天候は、かえって山の風情を増したような気がする。山腹を覆ったブナとクロベの森は美しかった。私はサブザックで、生徒がトラブルらしいトラブルを起こさなかったこともあり、頂上付近の稜線部分は雲の中にあって、遠景は一切見えなかったし、紅葉を楽しむにも早すぎたけれど、どっぷりと深い森に浸ることができた気持ちのいい1日だった。

 帰宅してから、改めて『宮城県の山』を開いてみると、須金岳の見出しには、「宮城の山では最も自然度の高い山のひとつで、その原始性が魅力」と書いてある。あれれ、これはいかにも私の趣味ではないか。私はどうして心引かれなかったのだろう?実に不思議なことである。おそらく、登山道の途中に沢も池もないという地形的な単調さと、ひたすら続く急斜面とを見ただけで、「つまらない」と判断してしまい、他の要素に目が行かなくなってしまったのだ。自分のうかつさが、少し情けない。

 今日は、班別行動だったので、女子のパーティーを6つばかり引率して「地獄谷」に行った。テントサイトから15分ほど歩いた沢沿いに、あちこちから温泉が湧いている場所がある。「地獄」というのは温泉湧出口を言うらしい。ハイライトは一番奥に近い所にある間欠泉である。遊歩道の足下から湯がぶくぶくと溢れ始めたかと思うと間もなく、2mくらい上の岩穴から、勢いよく湯が吹き上がり始める。2分くらい続く。「生きている地球」を実感できて面白かった。

 顧問の宿泊は、鬼首の古い温泉地区にある大新館(たいしんかん)という旅館だった。いかにも山間の古い温泉宿といった風情の宿だった。それでいて、トイレと食堂だけはとてもモダンに改装されている。プライバシーのない部屋が多いので、家族や友達と泊まるには使いづらいと感じる人もいるかも知れないが、いい宿だった。

 生徒の宿泊は、そこから徒歩5分の吹上高原キャンプ場。広々とした素晴らしい芝生の広場である。大柴山や禿岳も間近に見えて、所々に生える白樺が、何とも言えない爽やかな高原の雰囲気を作り出している。

 この地区は、40年ほど前に家族で来た記憶が微かにあるのだが、なぜかその後足を運ぶ機会がなかった。鬼首と言えば、大柴や禿に登り、スキー場の下の、ペンションが建ち並ぶリゾート地区や禿岳山麓の古川高校の山小屋に泊まる機会ばかりが多かった。大会という事情がなければ、今後も当分は足を向けないままに過ぎていっただろう。「初物づくし」の新鮮な3日間だった。