「文字」のミステリー



 先週、期末考査期間中の午後、発達障害についての校内研修会が行われた。最近の多忙な学校の中で、遂に考査期間中にまで研修の予定が組まれるようになったことは腹立たしいが、内容自体はなかなかよかった。講師は、近所の支援学校校長。

 最近は、学校の教員が何人か集まると、発達障害の生徒が増えているというような話になることが多い。アトピーやアレルギーが増えているのは気のせいではなく、間違いないことだと思うが、発達障害も本当に増えているのだろうか?これは分からない。

 昔は「ちょっと変わったヤツ」くらいに思われていた生徒に、診断名が付けられるようになったことで、発達障害児となっているようにも思うし、教師の力量が低下したせいで、安易に医師の力を頼るようになり、診断が付けられるようになったようにも思う。発達障害が疑われるだけで、実際には受診→診断とは進んでいない生徒もいれば、診断は付いているけどどこがおかしいのか分からない、という生徒もいる。いずれにせよ、どこの学校でも、疑いを含めたそれらの生徒にどのように対応するのが良いか、それなりに頭を悩ませているという現実がある。

 さて、先週の研修会から、私自身の問題意識に沿ったことだけ少し書いておこう。

 講師の話は、「発達障害は、発達の「遅れ」であり、活躍している著名人も含めて、相当数の人が該当する」という話から始まり、次に、障害児の中でも、特に勉強を苦手とする子供に「文字」がどのように見えているか、という話になった。勉強が苦手という場合、いろいろな原因がありそうなものだが、講師が「勉強が苦手=文字が苦手」という認識を最初に示したことが、私にはとても興味深いことに思われた。

 実は、私は「文字」とは何か、どのような性質を持つのか、について、並々ならぬ問題意識を持っている。私自身も、日頃生徒と接する中で、会話をしていてさほど問題のない生徒が、文字となるとまるで駄目、音声言語で容易に伝わることが、文字になるとからきし伝わらない、という経験がたくさんあるのだ。また、そのような生徒は、同音異義語を特に苦手としているような気がする。音が同じ漢字は同じ意味の漢字と認識し、それで不便を感じないらしい。これが「頭が悪い」ということなのか、「文字が苦手」ということなのかというと、後者ではないかと思っている。

 講師は、勉強が苦手な生徒に文字がどのように見えているかについて、いくつかの実例を挙げた上で、その子供たちが、現在の世の中でどれほど辛い思いをしているかを物語る、いくつかの言葉を引用する。例えば、次のようなものだ。


 「劣等感の固まりで育ってきた私でしたが、「大学に行けば自分の興味ある勉強ができる」と一念発起して大学に進学しました。しかし、現実は教授の書いた本を購入し、講義でそれを順番に音読することもしばしばあり、理解するのに苦労しました。その時、「好きな勉強ができると思っていたのに、やはり文字が音読できないことは、学ぶなということなのかな・・・」と、ある種の失望感がありました。また事務手続き、レポートなど、文章で指示されたもので失敗したことも多くありました。大学では、講義を録音するようにしました。ナショナルのサイレント・カット機能付きのマイクロカセットで録音し、90分の授業でも60分程度に録音でき、大学までの電車の中で聞き返し勉強しました。」


 その強い向学心は模範的だが、それでも、なぜこのように文字が苦手な人が大学に入れたのか、と、いぶかしく思う人は多いだろう。確かに、一昔前なら大学に進学できなかった人かも知れない。しかし、今や、学生集めに苦労している大学は山のようにあるから、この人のように文字が苦手でも、入れる大学を探すことは、おそらく全然難しくないのである。それはともかく、同じ講義でも、書物で文字を追えば理解できないのに、それを録音して聞けば理解できるというのは不思議である。普通は逆だろう。一瞬にして消えてしまう音声よりも、固定されている文字の方が、何事かを理解しじっくり考えるためには遙かに優れている、と思われる。だが、この人にとって、決してそうではないのだ。しかも、「文字が音読できないことは、学ぶなということなのかな」という言葉からは、この人が文字からストレートに意味を理解するということはハナから考えておらず、文字の理解も音声を経由することが当然だとしていることが分かる。

 言うまでもなく、世の中のあらゆる言語は、最初に音声によって生まれ、文字は後から発明、または輸入されて音を固定するようになった。「文字」を極めて苦手とする人というのは、発達が音声言語の時代で止まっている、と考えることもできる。発達障害がいかに「発達の遅れ」とは言っても、そこで想定されているのは、一人の人生スケールにおける「遅れ」だろう。だが、こうなると、「遅れ」は1500年近く(日本の場合)というスケールになる。もはやこれは、「発達の遅れ」と言うより「進化の遅れ」である(←発達障害の人をバカにするための表現ではないので、この部分だけを見て怒らないで下さい)。「文字」とは一体何なのだろう?  (続く)