「アーク・ノヴァ松島2013」とドゥダメル



 先週金曜日の夜、「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ松島2013」というイベントに行った。その名も高きルツェルン音楽祭のメンバーが、被災地・松島で出張公演を行うという触れ込みのイベントである。中心人物とされたのは、元ベルリンフィル音楽監督クラウディオ・アバド。知っている人にしてみれば、「神」にも近い人物である。

 私は、アバドのチケットの抽選に外れ、イベント初日の、「グスターボ・ドゥダメル ワークショップ プログラム」という公演のチケットだけを入手した。その時点で、「東北ユースオーケストラ」が出演するという以外、内容詳細は明らかでない。

 ドゥダメルとは、ベネズエラ出身、弱冠32歳の指揮者である。その歳にして名門ロサンゼルスフィルの音楽監督の地位にあり、今回の来日も、元々このイベントのためではなく、スカラ座の日本公演に正規の指揮者として帯同してのものだった。既にウィーンフィルベルリンフィルの指揮台にも立っている大変な売れっ子で、おそらくは次世代のスーパースター、今後私が彼の演奏会に行こうと思えば、チケットと旅費とで5万円をかけて東京まで行くしかない、と思われる。何をするかは知らないが、とにかくドゥダメルという人物を生で見てみたいという気持ちが強かった。

 松島の山の上に、風船を膨らませたような仮設のホールが作られていて、公演はそこで行われた。仙台ユースオーケストラと多賀城高校吹奏楽部による臨時オーケストラを、ドゥダメルが公開練習する、という企画であった。曲はファリャのバレエ音楽『三角帽子』の終曲。ラテン系の曲をラテン系の指揮者が演奏することもあり、これ自体は非常に面白いものであった。指揮者の頭の中にいかに正確に楽譜がインプットされているかに感心し、オーケストラという大所帯に自分の意思を伝え、それに従って動かすということの大変さと、実際にそれを実現させるエネルギーに圧倒されながら夢中になって見ていた。しかし、何しろ、元が6分あまりの短い曲(部分)である。練習といえどもかかった時間はわずか30分。司会者が、さすがに聴衆に対して申し訳ないと思ったのか、その後ドゥダメルのインタビューに持ち込んだのだが、内容的には平凡陳腐なものだった。やはり音楽家は、言葉ではなく音楽において雄弁である。過密なスケジュールの合間を縫ってせっかくわざわざ松島まで来たのにもったいないなぁ、もう少し長い曲、あるいは他の曲もやって欲しかったなぁ、などといささか物足りない思いはしたものの、本物のドゥダメルを間近に見られたことには一応満足して帰ってきた。

 しかし、「アーク・ノヴァ松島2013」というイベントは、どうも「虚仮威し(こけおどし)」の感が強い。そもそも、目玉であったアバドの公演が、アバドの体調不良によって中止になった。アバドも80歳だからまず仕方ないし、想定内のことだったと思うが、通常はこういう場合、それなりの別の指揮者を立てて、オーケストラ公演は行うものである。ところが、今回は完全キャンセルとなった(始めから来る気なかったかも・・・)。ドゥダメルのチケットも、早々となくなったはずなのに、行ってみればなぜか3分の1は空席。また、チケット自体は無料なのだが、予約(抽選)のためのシステム利用料とか発券手数料とかがずいぶん積み重なって、少しだまされたような気になった。公演は実質30分。会場スタッフと報道関係者とスポンサー(企業)がたくさんいて、雰囲気は仰々しい。しかし、「ルツェルン・フェスティバル」と銘打ってあるにもかかわらず、その他の公演も出演者がほとんど日本人で、アマチュアも多い。プログラムは、なぜか1時間くらいの短いものがほとんど。しかも、クラシック、歌舞伎、狂言、ジャズ、神楽・・・というごった煮状態となると、お世辞にも「ルツェルン音楽祭」が松島にやって来た、という感じはしない。

 総じて、「被災地」現象のひとつであるようだ。誰かの、被災地で何かをしよう、何かをしなければ、という意識が、アバドという大御所の同意によって形となったものの、内容を伴わせるまでには至らなかった、ということであろう。なんだか空虚の感が濃厚に漂う。