迎合する精神・・・携帯禍



 最高のタイミングで台風が来てくれた。少なくとも石巻地区に関して言えば、進路予想、到達時刻予想、規模といった条件がぴったりかみ合って、昨日のうちにJRの運休や休校が決まり、「学校できたのに・・・」と言わなくても済み、なおかつ大きな被害なんて出そうにもないほどの、本当にほどよい台風だった。

 休校だから職員も休み、などというのんびりとした学校は過去のものである。生徒の来ない学校=溜まった事務処理のための日、である。私はいつもより30分早く登校した。そして一心不乱に、ほとんど休むこともなく真っ暗になるまでデスクワークに励んだ。途中、近隣の三つの中学校にオープンキャンパスや進学相談会の案内文書を届けがてら営業活動に行って、1時間半ほど中断しただけである。これだって、10月に入って以来、行かなければと思いつつ、どうしても時間がとれずに後回しにしていたものである。いつもなら中学校の先生と都合を合わせるのも難しいのだが、今日はこの地域の全ての学校が休校なので、アポも簡単に取れた。中学校の先生にも、休校をこれ幸いと休みを取っている人なんていない。

 いやぁ、作業のはかどるいい一日だった。やっぱり、今の学校は、毎日午前授業か、「授業は4日、勤務は5日」が適正だと痛感した。それでも、今日、授業の準備には1分も時間を使っていない。休校がもう1日あれば、少しくらいは授業のために時間を割けるかも知れない、などと考える。本末転倒、何から何まで今の学校は異常なのである。

 ところで、日曜日の『産経新聞』に、「小学校でLINE氾濫「規制困難」主戦場は小4・・・大人が知らないSNSの実態」という記事が出た(私はNETで見た)。なんともおぞましい内容の記事である。気になったところを箇条書きしておこう。


・塾やクラブ活動に通い始める小学校4年生で、携帯電話を子供に持たせる親が多い。持たせるのはスマホである。

・子供にスマホを買い与える際、子供が「LINEができなくなる」と文句を言うため、フィルタリングをかけない親が増えている。

・街中のコンビニなどに溢れるフリーWi-FiスポットではWi-Fi用のフィルタリングも無効

アイポッドタッチへのフィルタリングは困難

・クラブ活動の連絡網もLINEを使っているため、LINEは「必要不可欠なツール」(某PTA役員)

・本人達にルールを考えさせるしかない(自己規制)。


 バカなのは大人であり親であるということ、新しい技術に人間が振り回される滑稽といったことが、実によく表れている。ここに見られるのは、「便利なものはいいものだ」「子供が喜ぶことをするのは子供のためになる」という単純で浅はかな発想である。

 先日、宮水の教員が数人集まって、子供を車で送ってくる親を遠目に見ながら、例によってグチをこぼしていた。「何を考えているのだろう?」「自力で学校に来させないと、学びは主体的にならないし、精神力も体力もつかないし、何もいいことないよな・・・」というようなグチである。誰かが、「子供が喜べば、バカな親はこどものためになることをしていると思うんだよ・・・」と言った。

 今年の夏、我が妻が子供を「キョウリュウジャー」の映画を見に連れて行った。事後にそれを聞いた私は、「どうして?」と尋ねた。すると妻は、「だって、子供が見たいと言うから・・・」と答えた。私は、「ばかもん!子供が見たいというものを見せるんじゃなくて、子供に見せたいと思うものを見せろ!」と言った。

 小学生にとってスマホが、「必要不可欠なツール」であることなどあり得ない。無ければ無いで済むのである。便利さに心引かれて使っているうちに、「必要不可欠」だという幻想が生じるだけなのだ。事件に巻き込まれる危険性、無駄な情報のやりとりとそのために費やす労力、常にスマホが気になって、特に勉強のような沈黙と忍耐とを必要とする作業にじっくり取り組むことのできないマイナス・・・。メリットが些細であるのに対して、デメリットははるかに深刻だ。

 子供にルールを考えさせ、自己規制を求める?私は、そんなおめでたいことはとても言えない。大人も子供も、一人一人が誘惑(欲望)に耐えてそんな自己規制をできるくらい立派なら、始めからスマホなんて持たない。欲望がコントロールできないからスマホを持ち、持たせるのである。

 「商業主義」が子供を食い物にする。子供が喜べば、「子供のためになっている」と誤解する。本当に、しっかりと正面からものを見つめ、掘り下げて考えることのできる子供を育てようと思ったら、携帯電話なんて未成年は禁止にするしかないのだ。それこそが大人の責任というものである。頭と心を蝕むものは、肉体を蝕むものよりもたちが悪い。私は、日々高校生を見ていて、携帯電話やスマホの有害性は、酒やタバコの比ではないことを強く感じている。

 ただ、『産経新聞』の論調を見る限り、人は「携帯禍」から逃れる方向へはあえて進みそうにない。やはり、人間のDNAには破滅への道筋がインプットされているようだ。