課長人事に表れた姿勢



 先日の会議の話(11月12日記事)と少し関係するが、会議で議論の火が消えたのと同時並行で、「与えられた範囲でできるだけのことをする」という類の言葉を聞くことがとても増えたような気がする。私はこの言葉を、「言っても無駄」の積極表現だと思っている。「言っても無駄」とグチをこぼしていると、だんだん気が滅入ってくるので、「与えられた範囲で云々」と言って、自らを鼓舞するわけだ。「範囲」設定の仕方がおかしいから、それをなんとか変えていこう、という気は起こらないらしい。

 さて、昨日は年に一度の「教育長交渉」(終了後、引き続き「課長交渉」)があったので、県庁に行っていた。小中(市町村立)と高・支援学校(県立)の両教職員組合が合同で、宮城県における教育のトップである教育長と、学校内問題について話し合いをするという場である。教育問題がこれだけ多岐にわたっているのに、教育長が年に1度、1時間半しか職場代表の前に現れないというのも困った話だ。しかも、時間の延長は絶対に許されない。

 参加したのは約50名。私は数年前まで、組合側の主張にもエゴや軽薄さを感じることがたびたびあり、その必要性を認めつつ、不愉快な思いを抱くこともまた少なくなかったが、近年は一般参加者の発言を制限し、本部役員中心の交渉となって、不愉快を感じることは無くなった。昨年も書いたが(11月19日)、今年も宮教組(宮城県職員組合=小中学校)のツートップの発言には本当に感心させられた。感動的でさえあった。学校と教育の問題を考えるために、全ての教職員にこの場の様子を見せたい、と思った。

 組合の組織率も大きく低下し、数年後には組織自体が存続できているかどうか怪しい折り、大半の教職員は、組合が県とこうして交渉を重ねた上に立って、今の職場環境や私たちの待遇、教育条件があるということには気付きもしないのだろう。それを、組合の情宣活動の不足と批判してはならない。当局の「服務」を口実とした圧力や、「政策的」と言っていいような仕組まれた多忙化、一般教職員の意見の多様化と平和ボケ、その他もろもろの事情によって、今や組合は地下活動に近くなっているからだ。それが、「民主主義国家」日本である。

 宮城県教育委員会の事務局たる教育庁は、教育長をトップとして、その下に教育次長がおり、更にその下に実働部隊のトップとも言うべき課長が数名いる。課長というのは、だいたいどこかの校長経験者が就任し、2〜3年の期間を無事終えると仙台市内のナンバースクール(仙台一高、二高といった番号付きの学校。一般に名門校と言われている)の校長となり、そこで定年を迎える、というのが決まったパターンだ。

 課長の中にも軽重があって、最も重要なのは教職員課長だ。私たち教員の任免、人事、勤務条件といったことを司っている。昨日の課長交渉でも、この人以外が発言する機会というのはほとんど無く、だいたい9割は教職員課長の出番だ。

 ところが、この最も重い課長だけが校長経験者ではない。国家公務員1種試験合格のキャリア官僚だ。年齢は30歳前後。他の課長より20歳あまり若い。文部科学省からやって来て、2年で本庁に戻る。採用されて二つ目か三つ目のポストで、教員歴30年前後の出世頭よりも更に上位のポストに就く中央のキャリア官僚の威光には、まったく驚く他ない。

 私が教員になった頃は、教職員課長も教員出身者だった。記憶に残る限り、10年ほど前を最後にキャリア官僚に変わり、それが確かもう4代(5代?)続いている。少々不確かだが、3期目に入った現知事が始めたことではなかったろうか?今の教職員課長は、その中でも際だって若く見える。

 私は、教職員の地位の元締めである教職員課長が、教員上がりであろうが、キャリア官僚であろうがどうでもいい。どちらでもいいから、少しでもまともな人物になって欲しいと願うばかりである。だが、なぜ知事がわざわざこの重要ポストに、中央からキャリア官僚を連れてこなければならないのか、それほど県には人材が不足しているのか・・・ということを思った時、なんだかひどく嫌な気分になるのである。間違いなく、そこには何かしらの政治的意図があるのであり、それは子ども、保護者、教職員、学校の実態から出発して、どうするのが健全な子どもの育成のためにいいのか、という発想とは正反対のものであるに違いないのである。

 県庁全体におびただしくいる課長の中のたった一人の課長の存在が、県民の関心を引くことはなく、当然のこと、知事選挙の争点はおろか、周辺情報としても語られることはない。だが、一事は万事を象徴する。現場が見えておらず、見たいとも思っていない、まして私たちが問題と考えている問題の解決など真剣に考える気はない・・・昨日の答弁に見えていたものは、本当に残念ながら、この手のものばかりだった。