メダカの「永久機関」



 8月だったか9月だったか、妻が知人から、孵化したばかりのメダカを数匹もらってきた。昔風の金魚鉢に入れ、ホテイアオイを浮かべて飼うようになったのだが、間もなくホテイアオイは枯れてしまった。酸素を供給するためのポンプがあるわけでもないので、水中の酸素はすぐに無くなってしまうと思った。あっという間に水も濁ってしまうのだが、妻は面倒がってなかなか水を替えてやらない。私が、「生き物を飼うんだったら責任を持て。可哀想じゃないか!」などと怒るので、しぶしぶ、週に一度ほど水を替えていただろうか・・・?

 私が見ていると、なかなか気の毒な居住環境なのであるが、メダカは死ぬこともなく、それなりに成長を続けた。やがて秋になり、冬になった。水温が下がり、活性が低下したからだろうか、夏場のように水が濁ってきたりはしない。メダカの酸素消費量はあまり変わらないと思うが、水がきれいであるのをよいことに、この一ヶ月は水を替えることもない。もらってきた当初、喜んで餌やりをしていた子どもたちも、メダカには全然注意を払わなくなった。何だか気の毒だなぁ、と思いながら、ほとんど毎日のように金魚鉢をのぞき込んでいるのは、今や私だけだ。とは言え、私ものぞき込むだけで、水を替えたり餌をやったりという世話をするわけではない。

 なぜかメダカに変化はない。一ヶ月以上にもわたって交換されていない水の中に、なぜ酸素があるのか分からない。メダカが何を食べているのかも分からない。しかし、なぜか酸欠にはならず、自分の糞で発生した有機物か何かを摂取しながら、メダカは何食わぬ顔でぴんぴんしている。金魚鉢の中に生きていくためのシステムが完結しているようで、なんだか「永久機関」を見ている思いがする。永久機関と言えないのは、メダカにも寿命というものがあって、いつかは死ぬはずだからだ。

 毎日じろじろとのぞき込みながら、何一つ世話を焼くこともない変な人間を、メダカたちは、金魚鉢の中からどんな思いで見ているだろうか?