私の子どもはぐれる?



(12月19日付け学級通信より 1)

 

 日本一になった楽天も、契約更改が終盤戦だ。職員室でも、時折噂になる。特に銀次や則本の年俸(6000万)については安すぎる、という意見が多い。私もそう思う。もちろん、「安い」とは言っても、私の年収から言えば、正に「夢」のような数字なのだが、彼らの活躍ひとつで社会全体の膨大お金が動くわけだし、特殊な能力を持っている上、スター選手になれる確率は極端に低いし、選手生命はそれほど長くないし、なにより、これだけ多くのファンの期待や、場合によっては「被災地」全体の夢・希望を背負っているとなれば、そのプレッシャーたるやたいへんなものなのだから、なんだか割に合わないという気はする。私の授業を受けている生徒の数と、彼らが影響を与えている人の数を比較すれば、私と彼らの年収比どころの話ではない。

 だが、ここで考える。そもそも給与はどのように決まるべきなのだろうか?その人が、生活していくのに十分なお金があればいいではないか、というのであれば、彼らの給与は高すぎる。一方、影響力(特に経済)で考えれば、あまりにも安い。諸君の多くも、来年から「月給取り」になり、「給料が安すぎる!」などと文句を言う人も出てくるだろう。その際、給料はどのような決まるのか、自分の仕事の価値とは何か、という原点を考えてみることには意味があるのではないか?と思う。


【子どもがぐれる!?】

 授業のみならず、ついに朝読書の時間にもスマホを没収した。

 先日、授業だったかHRだったかで、私は諸君から「えーっ?子どもにゲーム機買ってやらないの?先生の子どもかわいそう!!ぐれるよ!!」と言われたのは面白かった。諸君のいかにも「ありえない!」という表情も印象的だった。

 その日の夜、学年の先生達と四方山話をしていた時、ある先生がぽつりと言った。

「生徒が携帯電話(スマホ)に1人1ヶ月1万円払うとすると、宮水全体で400万円、1年間だと5000万円になる。これはすごいことだぞ・・・。」

 諸君が携帯電話にいくら払っているのか正確には知らないが、毎年春に行われる携帯電話調査の結果(7月2日発行のこのプリントで紹介した)からすれば、月1万円は妥当な数字だろう。

 その先生が「すごい」という言葉に、具体的にどのような意味を込めていたかは明瞭でないけれど、「くだらん金の使い方があるものだ・・・」というニュアンスが強く含まれていたことは、その時の雰囲気からよく分かった。

 小学校3年生でも、既に私の子ども以外にゲーム機を持っていない子供がいないらしいことは知っている。しかし、私はそれが我が家の教育方針だということは明確にしているし、子どもはゲーム機がないからこそ、本も読むし、いろいろな遊びを考え出す。毎日本当に楽しそうだ。もっとも、諸君は、「まだ小さいからだ、そのうち絶対にぐれる!」と自信を持って言うのだろう(笑)。

 携帯電話にしてもゲーム機にしても、つい最近まで人間の生活にはなかったものだ。それを、なくてはならないように考えるのは誤解も甚だしい。まして、そんなものに多くのお金と時間を費やし、まるで心まで支配されているかのような状態を作るのは馬鹿げている。ゲーム機も携帯電話も親に買ってもらえない「かわいそうな子ども」が、ぐれるかぐれないか・・・私自身が楽しみにしていることにする。

(続く)