「幻想交響曲」の鐘(1)



 2週間続けて、日曜日の夜、Eテレでロジャー・ノリントン指揮NHK交響楽団によるベートーベンの演奏を見た。特に交響曲第6番「田園」はひどく面白かった。

 ノリントン指揮によるベートーベンは以前にもテレビで見たことがあったが、ひどく奇抜な解釈に思われて、違和感ばかりが強かった。巨大な太鼓腹を見ていると、清貧もしくは極貧の中で、骨身を削って曲を作った多くの作曲家たちの対極にある、脂ぎった贅沢な生活が想像されることも、ノリントンにある種の不愉快というか、拒否感を感じる原因となった。

 今回も、基本的にその印象は変わらないのだが、その音楽が深いかどうか、真にベートーベンらしいかどうかは別にして、エンターテインメントとして聴くならば最高に面白い、と思った。テンポが速く、きびきびしていて、緊張と弛緩とのメリハリがあり、通常は背後に隠れているようなモチーフを表に引き出して明瞭に聴かせる。とてもスリリングな演奏だ。私の知っている範囲では、デビッド・ジンマン+トーンハレの演奏がこれに近い。

 ふと思い立って、ベルリオーズの「幻想交響曲」のCDを入手した。これは、「交響曲」らしからぬストーリー性と言い、発明に満ちたユニークなオーケストレーションと言い、正に破天荒な曲である。それをノリントンのような変わった人がどう料理するか、ひどく興味を持ったのである。

 ベートーベンと同様、きびきびとしたテンポで、強弱のメリハリを付けながら曲は進む。演奏は、ノリントンが作ったザ・ロンドン・クラシカルプレイヤーズというピリオド楽器集団なので、ベルリオーズの指定通りの楽器が使われている。特に私が興味を持っていたのは、オフィクレイドという楽器だ。通常のオーケストラはこんな楽器を持っていないので、チューバで代用している。『新音楽事典』(音楽之友社)の絵を見ると、チューバを細身にし、バルブの代わりにキーを付けたような楽器だ。白黒の絵だと、チューバとファゴットの合いの子のようにも見える。もっとも、聴いてみると音質の差は見た目の違いほど大きくはなく、よほど意識して聴いていなければ、私なんかは気付かないだろう。

 この曲は、最終=第5楽章が始まってから2分半のところで、クロシュ(鐘)が鳴らされる。大抵は管弦楽の背後で、「C−C−G」の3音を1ユニットとして11回鳴らされるだけなのだが、最終楽章だということもあり、演奏全体の印象を支配するほど大きな影響力を持つものだ。

 おそらく、ヨーロッパの教会の鐘を模したと思われるこの鐘は、テューブラー・ベルを使ってカーン、カーンといささか甲高く鳴らされるのが当然だと私は思っていた。ところが、ノリントンの鐘はゴーンと低く暗く響く。なんだか肩すかしを食ったような気になってしまった。

 だが、何しろ音楽学者・ノリントンである。当時の演奏習慣や様式について緻密な考証をしていることはもちろん、楽譜を読むことについての執着も並外れて強いはずだ。無根拠に、なんとなくこんな鐘の鳴らし方をするわけがない。私はあわてて書架から楽譜を探してページをめくった。

 う〜ん、どうして今までこんな事を意識せずに聴いていたのだろうか?第5楽章の冒頭、楽譜の左端に楽器名が並んでいる所、クロシュの段には、ベルリオーズ自身による注がふたつ書き込まれている。ひとつは「舞台裏で」であり、もうひとつは「鐘の音高が十分に低くなく、ここに書かれた3つのハ音中の1音と、3つのト音中の1音が出ない場合には、舞台最前列に数台のピアノを置いて使った方がよい」というものだ。また、これに続けて「(つまり、ベルリオーズは高い音の鐘を使うくらいならば、ピアノの方がましだと言っている)」とある。フランス語の注を訳し、( )で補足説明を施したのは、冒頭解説の執筆者・井上さつき氏と思われる。

 これは不可解である。「2台」の鐘が、なぜピアノだと「数台」になるのか?「舞台裏」で鳴らされるべき鐘が、ピアノになるとなぜ「舞台最前列」になるのか?

 それはともかく、はっきり分かることは、ベルリオーズ自身は、甲高い鐘の音は望んでいなかったどころか、むしろ拒否していて、最低音の鐘がしっかりと鳴ることを期待していた、ということである。

 また、鐘が102小節で始まると、8分の6拍子の1小節を埋める付点2分音符が、2小節にわたってタイで結ばれ、ベルリオーズ自身による「Grande pedale」と注が付き、『新ベルリオーズ全集』に基づくものとして、「鐘の代わりにピアノが使用された場合にダンパー・ペダルをずっと押さえておくという意味であろう」と説明が加えられている。つまり、鐘の音はしっかりと音符通りに延ばされなければならない、ということである。周知の通り、音は高い(=周波数が多い)ほど減衰が早く、低いほど長く響く。ベルリオーズが、音が十分に長くなることを望んでいたとすれば、やはり大切なのは一番下の音だ、ということになる。

 つまり、私が、「幻想交響曲」の鐘はカーン、カーンと勢いよくなって欲しいと思っていたのは、なぜか今までそう演奏する演奏家が多かったことによって植え付けられた誤解なのである。標題(ストーリー)付き音楽である「幻想交響曲」において、第5楽章は「サバトの夜の夢」、すなわち第4楽章で、アヘンを大量に吸うことでギロチンにより首をはねられた悪夢を見た主人公が、夢の続きで魔女たちの夜宴(サバト)に巻き込まれた場面だ。なるほど、鐘は不気味に尾を引かなければなるまい。  (続く)