日本社会党の教訓



 安倍破廉恥内閣は、ついに集団的自衛権閣議決定をした。自信満々、私が「憲法」と言わんばかりの安倍首相である。憲法改正をせずに集団的自衛権とは横暴であり拙速だが、これでもずいぶん手間をかけた、と思っていることだろう。

 それにしても公明党の不可解な行動は、一体何なのであろうか?元々の公明党の理念ともかけ離れ、地方からも異論が噴出しているらしいのに、これほど大きな問題について、最終的には「執行部一任」という投げやりな態度を取るのは理解できない。あちらこちらから聞こえてくるとおり、連立離脱をすればいいのに、その選択は真面目に考えられた気配がない。

 いろいろと異なる事情はあるが、日本社会党の二の舞になるのではないかという気がする。1994年に「日本社会党」は「自民党」「新党さきがけ」と連立を組んだ。議席数を急激に減らし、影響力が低下したことへの危機感、何とかして存在感を回復したいという強い思いはあっただろうが、首相を社会党から出すという自民党の甘いささやきに抗しきれなかった、というのが正しいのではないか、と私は思っている。「抗しきれなかった」のが、当時委員長だった村山富市氏なのか、社会党執行部なのかは定かでない。村山内閣発足後、村山氏は日米安保自衛隊原発などの超重要問題について、それまでの社会党の主張を完全に転換して自民党に合わせ、その後に開かれた党大会でそれらの路線変更を追認するという、信じられないようなメチャクチャをやった。ここまでして連立を維持し、社会党の意見をほんの少しだけ政策決定に反映させた結果が、選挙における更なる惨敗であり、社会党の解党であった。自民党は、わずか1年半、首相の座を社会党に与えることで、それまで長きにわたって最大の政敵だった社会党を実質的に消すことに成功した。そのしたたかさには舌を巻かざるを得ない。政治抗争、権力闘争の陰湿さと恐ろしさにもおののく。だが、何と言っても、一時の利益のために理念で妥協することが、いかに大きなダメージを生むかというのが、私にとっての「歴史の教訓」なのである。今、公明党は、第二の日本社会党へ向かって歩を進めている。

 では、社会党が「首相の座」という餌に釣られたことに相当する何かが、公明党にはあるだろうか?私は「ある」と見ている。権力を手放したくないという積極的なものには思われない。私が想像するのは、「政教分離」の問題をちらつかせながら、自民党によって脅しがかけられているのではないか、ということだ。

 先月12日の新聞各紙は、内閣官房参与飯島勲氏が10日にアメリカで講演し、公明党創価学会との関係が「政教分離」原則に反しないとしてきた従来の政府見解の見直しがあり得る、とほのめかしたことを小さく伝えた。どう見ても、集団的自衛権との関係で、公明党が賛成しなければ、政教分離を問題にするぞと、すごんだ格好だ。大きく取り上げられることがなかったのは意外である。たいへん重要なことであり、本音であろう。官房長官はその可能性を否定したが、おそらく、表面化していない部分で、自民党創価学会なくして公明党が存続できない現実を利用し、「政教分離」をちらつかせながら、強い圧力をかけてきたのではないだろうか?公明党は、政権内にいることで自民党の妥協を引き出していると自分たちの言動を合理化しつつ、おそらく、実際には悪に加担していることに忸怩たるものを感じているが、したたか極まりない自民党の策動にどうすることもできなかった。こう考えると、公明党の不自然な行動がすんなりと理解できる。

 集団的自衛権を実際に発動するための関連諸法が整備されていない現在、公明党にはまだ引き返す余地が残されているように思う。「日本社会党の教訓」を肝に銘ずるべきだ。筋を通して自民党がご機嫌を損ね、「政教分離」で圧力をかけられたら、それはそれで闘うしかない。一つのウソをつけば、それをごまかすために更にウソをつかなければならないのと同様、一つの妥協をすれば、それをごまかすために更なる妥協を重ねなければならないのであり、その果ては党の変質、凋落である。20年前の日本社会党がリアルでないとしても、現在の社民党の惨めな姿は目の前に見えているはずだ。