今日からは1人だよ・・・



 我が家の子供が、毎週日曜日の夜「ダーウィンが来た」を喜んで見ている。広くもない家なので、否応なく付き合うことになるのだが、動物たちの恋や子育てや生き死にに関わる厳しい生活を見ていると、人間というのは、よく言えば幸せ、悪く言えばなんと自然から離れ、のんべんだらりとした思慮のない生活をしているものか、と反省を迫られる。

 動物たちの生活の中で、私にとってひときわ強い興味関心の対象は、親と子がどうやって離れていくか、という問題だ。というのも、高校で「親の余計なお世話」というのを目の当たりにする機会が多いからである。質問にしても文句にしても、子供が私たち教員に直接言えばいいものを、わざわざ親が電話を寄越すことは少なくない。親による送迎は日常茶飯事。しかも、親に迎えを頼む生徒の電話での会話を聞いていると、その横柄な言葉遣いと命令口調に驚くことがしばしばだ。言葉遣いが悪いと言うより、そんな電話でホイホイ迎えに来る親に驚く。(→子離れについての参考記事

 宮水の就職担当者として、6月の1ヶ月間に、私は約50の会社を訪ね歩いた。そこでよく聞いたのは、最近の若者には我慢強さが欠けているということだ。しかし、その話に必ずと言ってよいほどくっついてくるのは、子供が親に会社を辞めたいと言った時、昔の親なら「なにバカなこと言ってんだ。仕事は何でも大変なんだから我慢して続けろ!」と怒鳴りつけたはずの場面で、多くの親が子供の言い分だけを聞き、「そんな会社辞めなさい」と言うということについての嘆息だった。

 つまりは、親が子供に従属している、親が子離れできていない、ということだ。そう思う時、動物の子離れ・親離れは潔い。卵を産みっぱなし、子どもが無事に産まれたかどうかさえ知らない魚類などは論外としても、ほ乳類でも種類によっては、巣穴に戻ろうとする子を、親が威嚇して追い出す。そうやって、一定の時期に親と子は別れなければいけない、それが自然なのだ。

 さて、そういったことをあれこれ思い起こしながら、我が家でどうしているか、ということを書いておこう。

 4月に下の子が小学校に入ったので、必要な場合は、夜でも子どもだけで留守番をさせることにした。滅多にないことだが、その第一回は、早速4月の10日にやって来た。夫婦それぞれの職場の歓迎会が重なったのだ。子供達は一緒に納豆・卵ご飯を食べ、お風呂に入り、9時半頃私が帰宅した時には、姉弟がひとつ布団ですやすやと寝ていた。よしよし。

 小学校に入るまで、子供は私たち夫婦と一緒に寝ていたのだが、1年以上前から、「小学校に入ったら1人で寝るんだからね」と繰り返し言っていた。2階に部屋を与え、ベッドを買ってやった。姉の時もそうだったから、弟は仕方の無いこととして受け止めていた風であった。いや、ベッドや机を買ってもらえる嬉しさが先に立って、夜1人で寝る、ということをリアルに感じていなかったに違いない。

 4月1日には、「まだ入学していないから、パパとママと一緒でいいでしょ?」と言っていたが、入学式の日には観念したらしく、案外素直に2階へと上がり始めた。ところが、階段に足を掛けたところで振り返り、「ねえパパ、寝る時だけお手々つないでぇ・・・」と言う。「バカ者!」とは言ったものの、息子がいなくなって寂しい、と思っていたのも確かなので、「いったいいつまで手を繋がないと寝られないのだ?」と尋ねると、なぜか「6月が終わるまで」と言う。私はここで妥協し、そのお願いを聞いてしまった。

 そして、一昨日が6月30日で、昨日が7月1日。6月30日に、「絶対に今日で終わりだよ」と念を押すと、息子は「うん」とこっくり頷き、すぐに寝息を立て始めた。そして昨日、「今日から1人だね」というと、「おやすみ」と言って、素直に2階に上がっていった。え?本当?!あまりにあっけなくて、少しがっかりしてしまった。まるで、今までもずっとそうだったような感じだ。

 子供達が少しずつ自立していくのは寂しい。だが、やはりそれが自然の摂理だ。さて、次はいつ、どのようなハードルを設定しようかと考えるが、そのハードルは、むしろ私自身のハードルである。