NIE全国大会in秋田(2)・・・地域エゴを乗り越えるために



 二日目となる昨日は、まず、秋田南高校の公開授業に出た(会場は明徳館高校)。文科省によってスーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定されたことによる、学校設定科目「国際探求」(1学年の「国際探求?」)の授業で、二社の社説を読み比べることで、討論をするというものであった。4時間構成の授業の第3時。

 テキストに選ばれたのは、日豪EPA(経済連携協定)に関する昨年4月8日の北海道新聞と、4月9日の神戸新聞の社説である。いかにもお勉強のよくできそうな生徒達が、二つの記事の異同を洗い出し、特徴を指摘して、是非を論じる。50分という短い時間の中で、実に手際よく作業は進んだ。少なくとも、この50分だけ見れば否の付けようなどない。が、大小2つのことを思う。

 まず小さい方。この実践に新味があるとすれば、地方紙の社説を読み比べたという点だろう、とは授業者自身が言っていたことだが、そもそも、今までなぜそのような実践がなかったかと言えば、記事を手に入れることが難しかったからである。今は、「EL’NET」というものがあって、全国のすべての地方紙の記事がリアルタイムで入手できるらしい。そのようなIT技術に支えられて、実践の内容は拡大していくのだな。新しい技術に否定的な私も、これについては価値を認める。もちろん、それによって情報量が増大すれば、その中から取捨選択する手間も飛躍的に増えて多忙も加速するわけで、どこまでで止めるかというのは難しいのだけれど。また、「EL’NET」の利用にはそれなりのお金が必要である。聞かなかったが、おそらく秋田南高校はSGHの指定によって、そのお金が捻出できるのだろう。全国3紙を読むことさえできない宮水の新聞事情を思うと、正に夢のような話である。こういう情報格差は何とかして欲しいと思う。

 大きな方。北海道新聞が、国内畜産業の弱体化に繋がるとしてEPAに批判的であるのに対して、神戸新聞は、ブランドである神戸ビーフの輸出が好調であることを受けて、EPAを攻めの農業戦略を考えるきっかけとして前向きに考えろ、とする。なかなかその違いは鮮やかだ。そしてもちろん、その違いは、北海道と神戸の畜産事情を反映している。つまり、社説が読者のニーズを意識しつつ地域エゴに陥っていて、国策としてのEPAを論じ切れていないのだ。この点については、授業後の検討会に助言者として出席していた河北新報の秋田支局長も、仕方のないことと認めていた(被災地復興に関する河北の社説にはそういうものがよく見られたと記憶する)。

 新聞が地域の声の代弁者であることは許されていい場合と、許されない場合とがあるだろう。少なくとも、EPAが国策である以上、地域エゴを主張し合うだけでは議論にならない。国として、しかも、現在だけの問題ではなく、時間的にも射程を長くして議論することが必要だ。今の自分たちにとって損か得かという話ではなく、世の中全体にとって、50年後、100年後の人間にとっていいか悪いか、何を全体的規範として是非を考えるのか、を考えなければならない。SGHと言うからには、議論を通して地域エゴを乗り越える視点を見出していくことがどうしても必要である。次の授業の予定を聞いても、その方向性が見えないのは残念だった。地理的、時間的な射程の短い思考は、後の時代に向けてツケをどんどん大きくするだけの策にたどり着いてしまうだろう。

 最後に、ミニシンポジウムに出た。学力と新聞活用との関係を、教育県である秋田と福井の実践によって検討するという会だ。シンポジウムの形ではなく、各自の実践報告をじっくり聞かせてくれた方が面白いだろうと思った。

 それはともかく、二日間にわたって、なぜ秋田県の生徒の学力が高いのか、繰り返し話題になった。その中で、何度も指摘されたのは、小中学校の連携、教員同士(大学や教育委員会指導主事も含む)の学び合いの関係がよくできているということだ。では、教員の多忙化がひどい中で、なぜ秋田ではそんなことが可能なのか、ということについての答えはさほど明瞭ではなかった。

 むしろ、1日目の夜に、秋田県ではない県の某教員から聞いた話が面白かった。

 その先生は、教員免許の更新講習を秋田大学で受けたそうである。県外から参加した人はほとんどおらず、ほぼ全員が秋田県の教員だったらしい。すると、ほとんど全員が秋田大学の卒業生で、教官とも顔なじみ、その親しげな雰囲気の中で、強い疎外感を味わいながら居心地の悪い思いで講習を受けたそうだ。秋田県の「横の連携」「学び合いの関係」というのは、そのような内輪の人間関係の中で実現されているのではないか、ということである。真偽は確かめようがない。仮に真だとして、それを「閉鎖的だ」とマイナスにとらえるのは間違いだろう。どんなに質の高い実践も、人間関係によって支えられる、教員はもっと心を開いていろいろな人と語り合わなければならない、と教訓にすべきであろう。最近は、教員の世界でも、できるだけ面倒のないように、人と関わらないように、という傾向があるような気がする。

 いい二日間を過ごした。もっとも、全国から1000人もの人がわざわざ集まるのだから、実質1日で終わってしまうのはもったいないな、とも思った。(終わり)