劇団四季または「ライオンキング」



 秋田から帰り、8月に入ってから3日間、夏休みを取っていた。休みの日は本当に忙しい。記事を書いている暇などなかった。

 4〜5日、家族全員で暑い東京に行った。主となる目的は、5日の午前中に行われた西川チェーン主催の少年野球大会に参加することである。つまり、子どもの野球大会に付き合っていたわけだ。(この件については、また明日。)

 だが、その半日のためだけに東京に行くのももったいないし、今年はこれ以外に夏休みがあるわけでもないので、前日は四季劇場に「ライオンキング」を見に行った。その後は、たまたま来日中の旧知のドイツ人家族とお台場に行き、更にその後は家族と一人別れ、丸の内の高級料理店で、前任校の卒業生にいい気分で酒を呑ませてもらった。ホテルに入ったのは深夜である。

 さて、劇団四季のミュージカルは、「オペラ座の怪人」と「CATS」をどちらも仙台で見たことがあった。四季劇場も「ライオンキング」も初めてである。15年ほど前に、当時勤務していた石巻高校の生徒から、東京土産として「ライオンキング」のカタログをもらった。先月15日に日本での上演10000回を達成したというニュースは記憶に新しいが、上演され続けてきた時間の長さは、「上演が始まった1998年以来」よりも、「私がカタログをもらってから15年ほどの間」の方がリアルだ。この間ほとんど毎日、日によっては昼夜2回、延々と上演され続け、そのどれもがほとんど満席だったというのは、本当に凄いなと思う。観客数も、今年4月に1000万人を突破。1人で見に行けない幼児や老人を別にすると、日本人10人に1人以上が見たというのは、東京、大阪、札幌、福岡以外で上演されたことが多分なかったことを思うと、正に驚異だ。

 ドラマそのものにはあまり感動しなかった。通り一遍な感じがした。音楽はまずまずよかった。あくまでも「まずまず」である。特に、呪術に関わる場面で流れる歌は、ブルガリアの合唱を思い出させる素朴で力強いものだった。しかし、ここまでをミュージカルの命だと考えれば、これが17年間、10000回以上の上演を実現させた歴史的な作品には思えなかった。

 むしろ、私が感心したのは、アイデア組織力である。人形は、できるだけ人形であることがばれないように、などとは作られていない。むしろ露骨に人間が登場し、人形を操っている。不思議と違和感がない。特に「豹」はすごいと思った。カタログによれば、ジュリー・テイモアという女性演出家が、ジャワの仮面劇や影絵芝居、日本の文楽からヒントを得て考え出したものらしい。その柔軟な思考と着想の斬新さには舌を巻かざるを得ない。

 演劇を含めて、文学・芸術に入れ込む人間は多いが、それで飯を食うのは至難である。浅利慶太劇団四季は、演劇(ミュージカル)で飯を食えるようにした点に画期的価値がある、というような論評をどこかで読んだことがある。それは正しいのだろう。だが、それを実現するためには、途方もない組織力が必要なのだ、ということを強く思わされる。都心に近い1.5等地に大きなハイテク劇場を建て、何組ものキャストを用意し、予約から場内係に至るまで完璧。その上に立って、あの華やかで統一感のある舞台が作られる。それを一つの完成させたシステムにするために、どれほどのアイデアと行動力が必要か。上演が始まって早々、多くの生き物たちが集まってきたサバンナ(プライドランド)の情景が演じられた時、そこに劇団の組織力が象徴されているような気がした。

 10000回、1000万人以上の人々を引き付けてきたことに対し、完全に納得できたわけではない。それほど深い感動はなかった。だが、ひどく感心したのも事実である。私は、「ライオンキング」をもう一度見てみたい、とはあまり思わなかったけれど、劇団四季のミュージカルは今後もまた見てもいいな、とは思う。そう言えば、10月からは、仙台で「美女と野獣」が始まる。