東京裁判とA級戦犯

 暑い。すっかり真夏である。先々週の週間予報では、連日梅雨空ということだったのだが、予報が更新されるたびに晴れる日が増え、いかにも梅雨らしかったのは、先週の月火くらいで、その後は今朝若干時雨れたくらいで、雨とは縁の無い天気が続いている。入道雲こそ見ないものの、もはや梅雨はどこに消えたの?という感じだ。
 地球の温暖化という場合、地球上のすべての場所が同様に変化するわけではない、とはよく言われること。乾燥して砂漠化が進む場所もあれば、狂ったように雨が降る場所もある、気温が5度上がる場所もあれば、1.5度しか上がらない場所もある、といった具合だ。福岡や大分の集中豪雨の惨状をテレビで見、教室から毎日見える少しボヤっとした夏空を見ては、そんな地域的な偏りということに思いを致す。世の中はとかく不公平なのである。
 石巻は、日中の最高気温が仙台よりも昨日は約4度、今日は約3度低かった。今も、じっとりと重く湿っていて決して気持ちはよくないが、かろうじて涼しい風が家の中を吹き抜けている。寝苦しい夜というのもない。やはり、石巻は全国で最も気候の良い街だと思う。地域の偏りは、宮城県の中だけにもある。さて、これはずっと続くことなのであろうか?それとも、何かの瞬間に、状況ががらりと変わる、などということがあるのだろうか?
 ねっとりと重い湿気の中にいると、文字を書くという面倒な作業をする気がなかなかおきない。文字が暑苦しいのである。読む側からしても同じだろう。

 さて、先日、「有害図書」(→こちら)を読みながらあれこれと思いをめぐらせていて、ふと、東京裁判の復習をしておきたくなった。我が家の書架から何冊かを選んで、電車の中でざっと目を通した。児玉襄『東京裁判』全2冊(中公新書、1971年)が圧倒的に面白かった。読みやすく、よく出来た小説のようだ。粟屋憲太郎氏(『東京裁判論』大月書店、1989年)が指摘するような問題点、すなわち「推定を断定に代えて、誤った記述が散見される」というのは確かなのかも知れないが、おそらく、素人が読んで東京裁判を根底から誤解するといった問題ではないだろう。
 東京裁判は、勝者が敗者を裁いたものである。東京・市ヶ谷におけるA級戦犯28名の裁判だけが注目されるが、それをたどり考えていると、B級、C級といった一般軍人を、彼らが活動していた場所、すなわち当事国が裁いた裁判の悲惨さと不条理、そこで処刑された920人もの人の無念を、改めて強く意識させられる(→シンガポールで考えたこと)。これらの裁判も含めて、戦争とは狂気なのだ、と思う。
 A級に関する裁判は、勝者を敗者が裁いた報復的なものではあると言っても、まだマシだった。一応、裁判の形式は整い、弁護人もいて、2年半もの時間を費やした。7名が処刑されたとはいっても、彼らが国家の指導者であったことを考えると、「僅かに」と形容してよいだろう。長期にわたって審理が行われたおかげで、この裁判がなければ埋もれてしまったであろう歴史の細部が明らかになり、膨大な史料が残されたことには大きな意味があった。
 先日も触れたとおり(→こちら)、1978年、刑死および獄中死したA級戦犯14名が靖国神社に合祀された。首相を始めとする国会議員が靖国神社を参拝した時に、必ず問題とされる点である。
 意外に思う人もいるかも知れないが、私はA級戦犯と他の戦没者を一緒に扱うことに反対ではない。むしろ、A級戦犯を別格扱いすることで、日中戦争・太平洋戦争が起こったことの責任を彼らにのみ負わせ、他を全て被害者だとする発想に陥ることを危惧する。僅か数人か十数人かによってあの戦争が引き起こされたわけがない。日本だけが悪いとも思わない。欧米による植民地化競争に追いつこうとした結果の大陸侵略だったし、日清、日露などの戦争に勝てば熱狂してあおり立てる多くの国民がいた。体を張って戦争に抵抗したごく一部の人を除いて、日本人全体が自らのこととして責任をかみしめなければならず、世界の国々も他人事とせずに、より豊かな生活を求め、自分の国をより優位にしたいという衝動の根底に、かつての日本と同じものがあることを自覚しなければならないのである。
 ただ、彼らが靖国であろうがなかろうが、神社にまつられることで神となり、神=至善として批判が許されなくなってしまうことはよくないと思う。戦争について考えることは、「未来志向」(←政治家による手垢が付きすぎた表現だが・・・)で生きていくために極めて重要な「温故知新」である。靖国神社を大切にする人たちが、「自虐史観」を否定する立場に立つこともあわせて考えると、A級戦犯靖国に祀ることは、温故知新を否定する極めて単純な復古主義である可能性が高い。
 国による無宗教の追悼施設を早く作り、A級戦犯も含めて、全ての戦争関連死者を追悼できるようにすればよい。もっとも、戦没者を祀る施設として靖国にこだわる勢力は相当に強く、追悼施設はずっと言われ続けているのに、実現する気配は微塵も感じられない。そのこととA級戦犯の合祀が軌を一にするとすれば、やはりそれは深刻な問題である。私としては残念で、不本意なのだけれど・・・。