靖国神社と鎌倉

 (28日)10時に二番町(市ヶ谷と四谷の間)のJICAに行く。ファミリー・デイそのものはひどく他愛もないイベントだった。そもそも、東京のオフィスというのは、まったくただの事務所なので、職場見学としての面白さというのはあろうはずもない。子供を対象にしたレクチャーや展示、カンボジア事務所とのテレビ会議という企画はあったが、珍しいものはなかった。
 歩いて市ヶ谷本村にあるJICA地球の広場というPRセンターのようなところに移動し、昼食の後、展示を見てから、カレーについてのワークショップに参加した。香辛料の種類や混ぜ合わせについての小学生向けワークショップで、退屈はしなかったが、カレーについて知見が広がった、というほどでもなかった。
 というわけで、JICAはいささか低調、税金の使い方としても、本当にこれだけの組織が必要なのか?少し疑問がなくもなかったが、そういうことも、実際に行ってみないことには分からないわけだから、まぁ、これはこれでよかった。
 歩いて飯田橋のホテルに戻る途中、妻が行ったことないと言うので、靖国神社に寄った。政治的に騒々しい場所だが、そのことを念頭に置かなければ、私自身は好きな場所だ。靖国に集まる政治家に怪しい人が多いだけである。もちろん、それはそれで意味があり、靖国神社という場所の問題を表しているのだけれど、ともかく外見上は清潔感があり、品格の感じられる美しい神社だと思う。妻と娘(中学生)に、「こちらは問題のある施設だが、一度は見ておきなさい」と言って、遊就館という靖国神社付属の戦争博物館に行かせ、私は疲れ果てている息子を連れて一足先に宿に戻った。
 その後、神保町(すずらん通り)に中国書籍を見に行き、夜は卒業生である国際政治学者の卵と酒を飲んだ。
 昨日は、娘と二人で鎌倉に行った。息子も連れて、築地市場にでも連れて行こうと思っていたが、息子が野球の試合だとか言って、妻と先に帰ってしまったので、歴史ファンである娘と古都を訪ねることにしたのである。
 北鎌倉で電車を降り、円覚寺東慶寺建長寺鶴岡八幡宮とまわって、源頼朝が政治をしていた大蔵幕府の跡地から、頼朝の墓、大江広元島津忠久毛利季光の墓を訪ねて鎌倉駅に出(ここまで全て徒歩)、江ノ電に乗って大仏を見に行き、再び鎌倉駅に戻るというコースをたどった。
 学生時代に何度か鎌倉は訪ねたことがあった。そんな私も、鎌倉幕府が実際どこにあったかもまじめに考えたことがなく、頼朝の墓も訪ねたことがなかったような気がする。本当は実朝や北条政子の墓も訪ねてみたかったのだが、時間が許さなかった。
 頼朝が政治をしていたという大蔵幕府の跡地には、清泉小学校という学校が建っていて、往時を偲ばせるものは何もない。最近になって作られたらしい、大蔵幕府跡地であることを示す石碑(鎌倉町青年団建立)が、かろうじてその場所を教えてくれる。頼朝の墓だって質素なものだ。まわりに一族の墓があるわけでもない。これは不思議なことである。
 思えば、12世紀当時、鎌倉は辺境にも近い場所だっただろう。将軍の意思が、どれだけの早さと正確さをもって、どこまで伝わったのかさえ怪しい。現代や江戸時代の統治システムから、鎌倉幕府の政治や将軍がいる場所のイメージを勝手に作ってしまうのは危険だ。おそらく、鎌倉の幕府というのは、非常に小さく簡素な施設だったのではないか?
 鎌倉もまた、驚くべき数の外国人観光客が歩いていた。湿度が非常に高く、暑い中、4時間でそれらを訪ね歩くのはなかなか大変だったが、いい社会科見学になった。もう少し娘に勉強させてから、もう一度行こう。
 さて、さて帰るぞ、と鎌倉駅のホームで電車を待っていたら、宇都宮行きの湘南カラーの電車が入ってきた。へぇ!?今はこんな電車が鎌倉から出てるんだ!横須賀線の地下ホームに着くより、乗り換えが便利でいいや、と思って乗った。さすがにくたびれてうとうとし、ふと気づくと恵比寿に停車する直前だった。えっ!?どうして?慌てて車内の電光表示や掲示物に注意を向けると、「湘南新宿ライン」と言って、横須賀線の西大井から山手線に入り、新宿を通り、赤羽から東北本線に乗り入れて宇都宮を目指すらしい。こんな電車があるとは全然知らなかった。新宿で下りると、中央線快速で東京駅に急いで引き返し、ほとんど滑り込みで予定の新幹線に乗ることが出来た。東京駅での乗り換えには余裕があるぞ、少しゆっくりおやつを買おう、などと言っていたのに、とんだオチであった。(完)