p4c

 本当は昨日から明日まで山岳部の合宿で、今頃は船形山の山中にいる予定だった。ところが、台風5号の進路が、予報の更新のたびに東へとずれ、ストライクになりそうになったので中止とした。それなりに立派な小屋があるならともかく、テント泊で、時間30ミリ、いや50ミリなどという雨に降られるのは、修行としてでも願い下げだ。昨日は、軟弱のそしりも免れない、などと思っていたが、今日の様子を見ていると文句のない判断だった。やれやれ。

 教員免許更新講習の話、続きである。
 「p4c」とは何じゃ??と思った人は多いだろう。それもそのはず。きちんとした言葉ではない。「Philosophy for Children」の「for」を「4」に置き換え、前後の単語は頭文字という、言葉遊び的な要素を強く含む一種の略号なのである。そのまま「ピー・フォー・シー」と読む。講義によれば、哲学者の世界では1970年代から考えられ、有名になっていた手法であり考え方のようだが、教育実践としては比較的最近クローズアップされてきたものだという。ネットで探してみると、「p4c Japan」や「子どものための哲学教育研究所」なる組織まであって、けっこう盛んな実践と普及活動とが行われているようだ。今年6月24日の河北新報には、ハワイ大学の先生が来て、美里町の中学校で「p4c」の指導をした、という結構大きな記事が載った。ハワイ大学は「p4c」の学校実践に関する震源地である。
 さて、一昨日の午後は、最初に「p4c」の歴史や実践の具体的方法についての講義が行われ、その後、ワークショップとなった。集まっていたのは、保育所から高校まで、雑多な教員だったのだが、みんな素直でお利口なので、作業は信じられないほどスムーズに進み、しかも盛り上がる。私は人見知りがひどいので小さくなっていたが、多くの人は実に積極的でオープンだ。
 私にとって非常に意外だったのは、「p4c」が子どもに哲学的思考の基本を身に付けさせるという目的よりも、むしろ円滑な人間関係の形成のために活用されているらしい、ということだった。「考え方」よりも、「話し合いの仕方」という点に重点が置かれている。講師の口からは「安心感(セーフティ)」という言葉が、何度も何度も出た。みんなで輪を作り、ボールを持った人にしか発言権がない。ボールを持っていない人は聞くことに徹する。パス(発言回避)は何回でも可能。相手を傷つけることは言わない。このようなルールとの関係で、みんながちゃんと自分の話を聞いてくれることの心地よさ、自分の発言が否定されない安心感が得られる。従って、安心できる集団作り、いじめや不登校など生徒指導上の課題解決につながることなどが語られた。これらは「期待される効果(2)」に書いてあることであって、「(1)」の方には、「主体的な学習」、「探究心」、「課題解決力」、「簡潔に話すことが出来るようになる」などの言葉が並んでいて、そちらの方が私の期待には近かったのだけれども、実際には(2)の方ばかりが強調されていた。前述の河北新報の記事でも同様だ。
 「なぜ?もし?どっち?ホントかな?」と題されたプリントでは、対話を進め、問題を掘り下げていくための問いについて、様々な例が示されている。大切なのはこちらの方だと思ったが、そのプリントは講師の個人的な「メモ」という位置づけである。また、私が哲学的な問いとして最も本質的で重要だと思っている「〜とは何か?」「〜は本来どうあるべきか?」といった問いは、「その他」のところに分類されていて、重要な問いとして意識されることなく他の問いに埋もれている。
 教員免許の更新制度がいいかどうかはともかく、この2日間、7名の講師の授業を受け、明らかに「ハズレ」だったのは1名だけ。あとはそれなりに面白く、大学の先生さすがだな、と思う場面も多かった。いい勉強をしたと思う。残りは「選択領域」の3日間。これこそが、実は、今年の夏休みのメインイベントである。どこで何をするか?・・・それは終わってからのお楽しみ。