心を病む教員たち

 昨晩、テレビを見ていたら、心の病のために休職している公立学校教員が、全国で6000人近くいる、というニュースをやっていた。へ!?6000人ということは、東京のように極端に人口が多いところもあることを考えると、普通の県ならだいたい100人前後ということになる。我が家では、そんなに少ないわけないなぁ、と言いながら、○○高校や□□高校では1人、△△高校では2人・・・などと身近な学校についての噂をしていた。宮城県の場合、「公立学校」ではなく、「公立高校」だけで100人くらいはいそうだ。
 このニュースは、今日の朝刊でも報じられていたが、その見出しを見てみると、我が家に届く河北新報では「精神疾患休職最多5897人」で、毎日新聞では「心の病教員1万人超」となっている(朝日、読売は未見)。え?どうしてこんなに数が違うの?と驚いて、よくよく読んでみると、河北は、病気休暇(病休)を取れる上限の90日を超えて「休職」となっている人の数だけを挙げ、毎日は病休も含めて、精神疾患によって1ヶ月以上休んだ教員の数を挙げている。どちらも間違った数字を出しているわけではないし、本文を読むと見出しに使った以外の数字も載っていて、それらは当然、河北と毎日で食い違っていたりはしない。それでも、見出しによる印象の違いは強烈だ。
 さて、どちらの数字の方が、心の病を患う教員の実態をよく伝えているだろうか?我が家で夫婦して公表された数を「少ない」と感じたことからすれば、毎日の方が実感に近いと言える。また、河北の数字だと、全教員数に占める割合が0.64%、毎日だと1.19%となるらしい。大々的に報道されるからには「多い」のだろうが、他の職種との比較がなければ、それがどの程度に深刻なのかは分からない。
 文科省のHPで原資料を見付けられないので、記事によると、文科省はその原因を次のように分析しているらしい。
新型コロナウイルス対策で忙しくなり、教員間でコミュニケーションを取る機会が減ったことも影響した。(河北)
・特に20~30代で休職者が増える傾向が強い。中堅教員が少ない自治体が多いために若者が気軽に相談できる相手が少なく、学校内で若手へのサポートが薄いことも考えられる。(毎日)
 私は賛成しない。多忙、長距離通勤者の増加、個人情報管理の厳格化、煩わしさの忌避といったことにより、横の人間関係が希薄になっていることが第一に問題だと思う。また、世の中の豊かさと少子化の影響もあって、幼い頃から何かにつけて「配慮」され、「我慢する」とか「じっくり何かに取り組む」といった機会が少なかった若い世代ほど、精神的には弱い。若い教員ほど休職者の割合が高いというのは、そんな理由によっているのではないか。生徒指導の困難、保護者や地域からのクレーム、コロナ対応の負担などはないわけではないが、精神疾患を増やす本質的な理由ではないと思う。事実、心を病む教員は、「よい子」がそろっている学校でも、「悪童」だらけの学校でも同様に発生する。
 以前、『女たちの長征』という本の読後感に端を発し、人間がどういう時に強くて、どういう時に弱いか、ということを書いたことがある(→こちら)。今も当時と考えは変わっていない。人間の精神というのは基本的に強靱であるが、それは信頼できる仲間がいて、状況の厳しさに対する納得や、信念、使命感によって内側から支えられている場合である。逆に、信頼できる仲間がおらず、自分が置かれた状況の厳しさが理不尽なもので、信念、使命感がない場合、人間の精神は容易に壊れる。
 今の人間関係は希薄である。当たり障りのない、円満ではあるが表面的な人間関係が多い。文科省、県教委からは、政治的パフォーマンスのようなくだらない指示が続々と来て、多忙を推し進めると同時に、教員の専門家としての信念に基づく活動を阻害し、プライドを傷つける(→参考記事=破廉恥教員について)。当然、忙しいということについての納得もない。心が折れる原因が、しっかりそろっているのである。心を病む教員がもっともっと増えても、私には何の不思議もない。
 文科省、県教委がなぜそのことに気付けないのか?私なんかより数倍も頭の良く回る人がたくさんいる組織なのに、だ。思うに、「大変だ、大変だ」と言っているにもかかわらず、その原因を真剣に考え、学校を良くしようなどという気はないのだ。それよりは、わずか2~3年の、そのポストにおける自分の任期の間に、どれほど上司や世間に対して「やったふり」ができるかの方が大切なのである。私がよく言うとおり、「現在の利益と将来の利益は矛盾する」。短期的視野に立って何かをすれば、ある程度の時間の後に、その矛盾は何かの現象となって表れる。その一つが心を病む教員の増加だ、ということである。