ブルーウォーター・ストーリー

 「今夏のお手紙教育」を中断したのは、(3)を書いていて、ふと、JPから依頼されていた最終アンケートをまだ取っていないことを思い出したからである。その中には、ちょっと面白い質問があって、どうせならその結果を踏まえて、と思ったのだ。そのことに気付いてから3日になるが、先週末の文化祭の代休があったりもしたので、なかなかまだ担当の6クラス全部に行き切れていない。
 先月23日に退院する時、激しい運動は次回の外来診察まで控えなさい、と言われていたことなどあって、大人しくしていたのだが、日曜日から走ることを再開した。入院前の3分の1くらいの距離だが、違和感がないので、1〜2週間かけて牧山コース(13㎞、標高差300m)が走れる程度にしようと思う。
 入院明け、24日から通勤を再開したのだが、仙石東北ラインに変化があった。この列車は、名前の通り、仙石線から東北本線に入り仙台に向かう。仙石線東北本線との間には、200mくらいの接続線というのがある。列車はこの接続線に入る手前と出る手前とで、合わせて2度停止する。車内アナウンスによれば、「信号確認のため」とのことであったが、信号確認をなぜ走りながら出来ないのかは理解できなかった。なかなかにうっとおしい。この2度の信号確認停車がなくなったのである。おそらく1分程度の時間短縮にもなるのではないか、と思うが、時刻に変更はないようだ。

 さて、この2日間、列車の中で、片岡佳哉『ブルーウォーター・ストーリー ― たった一人、ヨットで南極に挑んだ日本人』(舵社、2015年)という本を読んでいた。再読である。昨年の秋、南極関係の本を読み直していた時、私がまだ読んだことのなかった南極関係の本として存在を知り、入手して読み始めたところで、南極を知るための本ではないことに気付いて落胆し、もう少し読み進めたところで、類い希なる冒険譚であることに気付き、読み終えてみれば、動揺と言っていいほど深い感銘を受けていた。それから10ヶ月、もう一度読みたいという気持ちが異様に高まってきて手に取ることになった。
 やはりすごい本だ、と思った。青年の純粋ひたむきな衝動に基づく冒険物語として、日本人が書いたものとしては植村直己『青春を山に賭けて』(毎日新聞社、初版1971年)と双璧を為す。『青春を山に賭けて』が、いろいろな出来事を寄せ集めた植村の半生記であるのに対して、『ブルーウォーター』は、一つの航海だけを克明に描いた物語であるという点で、両者には大きな違いがある。だが、その根底に流れている挑戦と克服への若い衝動は同じだ。
 旅のスケールは桁違いである。東北大学出身である片岡氏が、宮城県のとあるヨットハーバーを出発してから、太平洋を渡り、アメリカ大陸に沿って南下し、ホーン岬への上陸を実現させてからブエノスアイレスに移動して、南極へ向かうためのヨットの補強に取り組み、南極に向かうものの、南太西洋で強風のために転覆してマストを破損、再び、アルゼンチンに戻って修理と補強作業に励み、その後南極大陸上陸に成功、ブエノスアイレスに向けて南極を離れた、というところまでがこの本で描かれている場面なのだが、この間、実に5年。全長たった7.5mのヨットに、たった一人で乗って、「吠える40度、狂った50度、絶叫する60度」と言われるドレーク海峡を越え、海図も整備されていない地域で、氷山との衝突を絶えず警戒しながら、ホーン岬南極大陸への上陸を果たすというのは、関連技術の習得や資金作りのための精進も含めて、想像を絶する偉業である。ふんだんに使われているカラー写真も素晴らしい。
 氏にとって最大の試練は、やはりマストの破損であった。

「今回の転覆事故で、ぼくは全ての勇気を失った。海の恐怖が、心をナイフのように傷つけた。勇ましかったぼくは、何物をも恐れなかったぼくは、命知らずだったぼくは、臆病者になり下がった。海岸に崩れる波頭を見ても、冬山のような白い海原の記憶がよみがえり、夜の港に低く鳴る防波堤に砕ける波音さえ、胸の奥まで突き刺さる。もう二度と海に出たくない。」

 その彼が、他のヨットマンからも諦めるよう勧められる中、自分がそれまでにしてきたことを振り返りつつ、再び南極への挑戦意欲を抱き、大きくしていく。

「やはり、ぼくは南極に行く。なんとしても、どうしても行く。これは自分に課した決定事項だ。どのような言いわけも認めない。つらいから、苦しいから、怖いから、夢を途中であきらめるのなら、これまでの努力は、何年も続けてきた苦労は、二度と戻ってこない若い日々は、何のためになるのか。(中略)単独で挑む南極航海は、命の保証がない冒険に違いない。〈青海〉ほど小さなヨットで、南極大陸に到達した前例はないのだ。それでも、なんとかして以前より頑丈なマストを立て、船体を念入りに整備し、体力と精神力を鍛え、夢を必ず実現してみせる。多くの困難をどうにか克服し、ホーン岬上陸のように、絶対に勝ってみせる。港の堤防まで日課のランニングを続け、夜の海をしばらく眺めた。崩れる波頭を見つめても、もはや恐怖は覚えなかった。」

 と引用すれば、いかにも「くさい」お話である。だが、この本全体を読めば、そんな衒いや、見栄や、強情と作者はまったく無関係であることがよく分かる。圧倒されるような感銘を受けるとは言え、読後感は、実にさわやかだ。
 ところで、片岡氏がこの本の中で描いている南極航海は、なんと1981年(=私が大学に入った年)から1986年のことである。片岡氏は、生還したブエノスアイレスから更に4年間の航海を経て、1990年に日本に戻っている。航海記録はヨット関係の雑誌に発表され、それが今回書籍化された。それにしてもなぜ今頃?である。
 ヨット〈青海(あおみ)〉のホームページを見ると、本に収録しきれなかった写真や文章を見ることが出来る。そちらもまた素晴らしい。