永遠に遠い南極(1)

 一昨年の春、私が南極観測隊の「教員派遣プログラム」に応募した顛末を連載した(→こちら)。その時は自信満々。南極に行く前=何も見ていない、体験していない時点で作るという得体の知れない授業案がどう評価されるかは不安だったし、自分というものをアピールするにふさわしい提出物がない、というのはマイナス材料だったが、それでも、「南極に関する理解向上につながる様々な情報発信」と「そのための知識習得や自己研鑽」をするという事業の目的と私の適性との関係、履歴、様々な巡り合わせというものを考えた時に、いかに全国広しといえども、私以上の適任者がいるとは到底思えなかった。ところが、まさかの落選。
 自信満々だったためでもあるが、この事業に宮城県は推薦を出さないと言っていた県の担当者を説き伏せるために、とにかく1回だけでいいから推薦して欲しい、とお願いした都合もあって、私の南極はそれでおしまい、というのが、落選通知を受け取った時の思いであった。
 ところが、時間がたつにつれて、書類のあそこをこうすればよかった、みたいな、反省とも後悔ともつかぬ気持ちがわき起こってくる。「未練」が形を変えたものである。幸か不幸か、県の担当者が異動したので、「1回だけ」を知っている人もいないかも知れないし、記録も残っているかどうか分からない。よし、校長さえ許せば、もう一度チャレンジするぞ、と思ったのは、一昨年の連載途中くらいからであった。
 夏休み明けに校長に相談したところ、校長は快諾してくれた。最初の時には、「合格する→校内人事の調整や講師の確保等で面倒が生まれる」という心配もあったが、いざ出願・落選してみて、「通るわけがない→面倒は発生しない」と見込みが変化したということもあったかも知れない。
 3月末の発表では、翌年度の準備に差し支えるとの苦情が寄せられたのだろう。昨年度は、出願・選考の時期が約1ヶ月早まり、年始早々に締め切り、1月中には可否の通知が出ることになった。書類の内容は変化していない。校内人事の調整との関係でいらいらすることはなくなった。一方、枠が2名から1名に減った。どれくらいの出願者がいるのか知らないけれど、1名というのは厳しいな、と思った。それでも、出願しないことには合格もない。
 替わった県の担当者は、幸いにして旧知の人間であった。「1回だけ」は知らないようだった。今年も始まると覚悟していたバトルは一切なく、極めて事務的に、淡々と推薦を出してくれた。拍子抜けするほどだった。結果は落選だった。昨年度は、この瞬間から、もう一度チャレンジしようと心に決めていた。昨年度、この場で一言も出願に触れなかったのは、誰かの目に止まって応募者が増えることを恐れたから、である(笑)。
 昨年2月に、校内人事の調整が行われている時、教頭から1学年主任をして欲しいと言われた。人事は一任と言ってあったので、私は断る気もなかったのだが、一つだけ気になることがあった。学年主任は、原則として3年間持ち上がりである。その原則がそのまま適用されると、私は南極に3度目の出願ができない。それは非常に困ることだった。私は校長室に足を運び、1学年主任を引き受けるに当たり、南極への3度目の出願を許すということを条件にさせて欲しい、と依頼した。昨年、「今どうしても書けない」と書いた(→こちら)「条件」とはこれのことである。南極が実現したら、2学年主任への持ち上がりはナシ、ということだ。校長は快諾してくれた。が、やはりこれは「通るわけがない」という見込みに基づくように思われた。
 今年度は、昨年度と同じスケジュールで募集が始まった。枠は再び2名に増えた。提出書類が1枚増えた。「帰国後5年間の活動計画」というものである。これも、実際に南極に行っていない上、個人で出来ることには限りがあるので、何とも書きにくい書類なのだが、それでも、自己アピールに結び付く場が増えるのは良いことである。
 昨年までは、授業案を作る時にも、相手がどのように評価するか、つまり、どのような授業案を作れば相手が評価してくれるか、ということを意識しながら書いていた部分があるが、今回はかなり正直に書いた。つまり、授業案について言えば、自分は今まで50冊を超える南極関係書籍を読んだし、見たテレビ番組も相当数に上る、だが、実際に南極に行けば絶対に新たな発見があるはずなので、その「発見」を軸に、なぜ日本にいてそれが視野に入ってこなかったかを掘り下げながら、南極観測の世界を描き出す、というもの。「発見」は絶対にあるはずだ、というだけで、具体性はない。あえて、である。
 「帰国後の活動計画」については、ICTや書籍による通り一遍のものより先に、派遣主体である極地研究所や宮城県教育委員会が、私をどのように活用するか、その点を問い質し、ともに議論していきたいということや、私自身が出来るだけ長く学校に身を置くこと、といった、通常は「活動計画」と呼べないようなことを書いた。パフォーマンスや模範解答では自分の言葉にならない、ということもあったし、相手の意を忖度しながら書いて落とされるよりは、正直に書いた方が後悔が少ないような気がしたからである。
 南極に教員を派遣するという発想はよいのだが、その活用については極めていい加減で、コストに見合った成果を上げているとは思えない。南極を見てきた教員をどう活用するかについて私と議論をしましょう、という提案を受けて立つ極地研であって欲しいとも思った。(続く)