脳天気なるSDGs

(4月28日付け「学年主任だより№4」より②)


【悩ましいSDGs・・・難しいのは「持続可能」】

 時間があまりにも限られていたこともあり、先週のSDGs講演会は、おそらく諸君にとって決して分かりやすいものではなかっただろう。今年の普通科「総合的探求の時間」では、このSDGsについて考えることが柱になっているので、私流に多少の補足をしておこう。
 SDGsとというものがなぜ国連で定められたのか、そこに含まれる17の目標がどのようなものかというのは、普通科では今後の「総探」の時間に勉強するし、各自ネットで簡単に調べることができる。それら一つ一つを見れば、なるほど大切だなぁ、実現するといいなぁ、というものばかりだ。ところが例えば・・・

№1「貧困をなくそう」

№8「働きがいも、経済成長も」
      ↕
№7「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」

№13「気候変動に具体的対策を」

 上と下は二律背反の関係にある。すぐに諸君も気が付くと思うが、これは、地球温暖化を解決することの難しさと同じだ。№1がなぜエネルギーや気候と関係するのかは分かりにくいかも知れないが、それは「貧困」の定義と関係する。最低限「食べられる」ことで貧困ではないとするならともかく、世界の人々を標準的な日本人の水準に引き上げようとするなら、膨大なエネルギーの消費が避けられないからだ。
 講演の中で、「もっと~だったら」を出し、その実現のための方策を考えるというのは、今の社会と同じく、ただ「欲望の充足」を推し進めるだけであって、「持続可能な」が意識されていない。講師のTさんばかりを責めるわけにはいかない。私が見たところ、SDGsに関する世間の論調はみんな似たようなものだ。
 究極の「持続可能」は、化石燃料を一切使わずに生きていけることである。「再生可能エネルギー」とは言っても、太陽光パネル風力発電機の製造、設置、管理は石油の力で行われる。そう思うと、「持続可能」はとてつもなく難しいことで、私の頭で考える限り、生活の質の極端な低下を抜きにしては絶対に実現しない。
 講演の中で「欲望の充足」だけが語られたのは、自分にとって不都合なことには目を閉ざすという人間の性質(先日も書いたよね?→こちら)をよく表しているようだ。


【内よりも外・・・1人1人が宣伝塔】

 塩高生の制服の着こなしというのは大変立派なのだが、ごく一部の生徒に対して「スカート短いよ」「ネクタイちゃんと締めなさい」とよく声をかける。なんだかあら探しをしている嫌な目付きのおじさんになりそうで嫌だなぁ、と思うが、3年生だけ制服が違うのでよく目立つし、他学年への影響ということもあるので仕方がない。
 先日ある先生と、次のような会話をした。

「塩高生たいてい素直だから、注意すれば直すけど、その場だけのことなんだよね。学校を出て、私たちの目が届かなくなればまた短くしてるんじゃない?」
「本当は、学校の中で少々乱れた格好していてもいいから、外でちゃんとした格好して欲しいよね。外で変な格好していれば、確実に学校のブランド力を下げ、全体にとっての不利益になるから罪は重いよ。」

 もちろん、だからと言って私は、「校内ではどんな格好しててもいいよ」とは言えない。そして、校内できちんとした格好のできない人が、校外ではできる、ということもあり得ない。というわけで、同じこと何度も言わせないでけろ。


【(たぶん)やるぞ体育祭!!】

 4月28日→5月11日と延期になった体育祭は、またまた延期になってしまった。今度は、6月末~7月上旬の期日未定だ。しかし、今のところ「もうこの際中止にしましょうよ」という意見は、先生方の中では一切出ていない(私の耳には入っていない)。リスク回避を最優先に考えれば、中止が簡単で確実。だけど、それで失うものも大きい。諸君の思い出というだけではなく、健全な心身の発達において、だ。おそらく、そんな思いが共有できているということだろう。お腹は空けば空くほど、ものは美味しくなる(笑)。