「還暦」考(2)

 さて、中国語に「還暦」という言葉がないようなので、『日本国語大辞典』(新版)を引いてみた。すると、「還暦」の出典として書かれている最も古い文献は、『音訓新聞字引』(1876年)である。この本は、国立国会図書館の「デジタルコレクション」で実物を見ることができるが、それによれば萩原乙彦編、明治8年4月、弘文堂刊となっている。1876年は明治9年のはずなので、『日本国語大辞典』は間違っていることになる。
 見てみると、確かに第72葉に「還暦 トシ六十一ヲ云」と出てくる。随分簡略だが、それが記述の全てだ。萩原乙彦なる人物は編纂者であり、「還暦」の項を誰が書いたかは書かれていない。そもそも、『音訓新聞字引』におけるこの記述が、「還暦」の起源であるという保証もない。あくまでも『日本国語大辞典』の「還暦」の項執筆者が確認し得た最古、というだけである。ただ、おそらくは明治初期に作られた、決して古い言葉ではないことは確かなようだ。
 勤務先の図書館で杉本つとむ著『語源海』(2005年、東京書籍)という本を見付けたので、「還暦」を探してみた。「還暦は日本独自の言い方」とはっきりと書いてある。それに続く部分には、「干は5種類。甲乙丙丁戊。支は12種類に分かれる」と、不思議なことが書いてある。干は「十干」と言うとおり、10種類に決まっている。干が甲乙丙丁戊しかなければ、辛亥革命壬申の乱も意味をなさない。
 では、杉本氏がなぜこんな間違いをしたかと言えば、干支による年表記が60種類しかないからであろう。干が10種類なら、干支による年表記は120種類あって、120年を表せるはずである。支が12種類であることは、生まれ年や年賀状で身近なので、誰でも知っている。だとすれば、干支が60種類であるためには、干は5種類である・・・こういう極めて初歩的な間違い(早とちり)を犯したに違いない。
 ここで、実は私も意外なことに気が付いた。干支の組み合わせが120種類あるのに、60年で還暦ということは、干支の組み合わせで使われないものが60種類もあるということだ。紙に書き出してみると、奇数番目の干は偶数番目の支と組み合わせを持たず、偶数番目の干は奇数番目の支との組み合わせがない。干と支の数が二つ違っていることから生ずる当たり前の現象なのだが、うかつにも、私は今日に至るまで意識したことがなかった。確かに、史書を読んでいても、「甲丑」とか「乙午」とかは見たことがない。これは、今回「還暦」について調べる中で最も驚いたことであった。
 話を『語源海』に戻す。記述は更に次のように続く。
「〈華甲〉は中国で用いる。華を分解すると、十が6、一が1で61となる。甲は干のはじめ、甲で歳を意味する。同音で〈花甲〉と書くも、これでは語源未詳。」
 「華」が還暦と結び付けられる事情は、これと同じことが『大漢和辞典』にも書いてある。これを読むだけでは分かりにくいが、実際に書いてみると、確かに、6つの「十」と1つの「一」を組み合わせることで「華」を書くことができる。「甲」がそれだけで「歳」を意味するというのは、他の所では探せない。やはり「華甲子」が「61番目の甲子の歳」すなわち「還暦」という意味で存在し、漢字は2文字で熟語として最も安定するという自然法則に基づき、「華甲」として用いられるようになったと考えるのがよいのではないか。
 「華を分解すると、十が6、一が1で61となる」とすれば、音が同じだからと言って、「花甲」としたのでは意味をなさない。それが「語源未詳」の意味である。「未詳(まだ分からない)」と言うよりは、「分からなくなってしまう」だ。もっとも漢字は、「音通」と言って、発音が同じ漢字を流用することが時々行われる。しかし、漢字は表意文字であることに値打ちがある。「音通」を用いることは、漢字を表音文字として扱うということであり、それは漢字の自殺行為とも言うべきことなので、頻繁に行われたりはしない。
 ここで再び思い出すのは、『中日大辞典』にあった「六十花甲子」だ。私は昨日、それを苦し紛れに「60年で甲子=干支を使い果たす」と解釈したのだが、元々の形が「六十華甲子」だとすれば話は違ってくる。「60年過ぎて61年目の甲子」というような意味になる。だが、「六十花甲子」=「花甲」と書いてあったということは、そもそも「六十花甲子」は文ではないのではないか。ネットで調べてみれば、60年を表す干支の組み合わせを占いと絡めた「六十花甲子表」というものがたくさん出てくる。どうやら無理な解釈をするのは無駄であり、『中日大辞典』にあるとおり、「六十花甲子」は「花甲」と同じであって、ひとつの名詞として扱った方がよさそうだ。
 長々とした考察を終える。最後に・・・
 言うまでもなく、日本人は今から1500年以上前に中国から漢字を輸入した。しかし、それを自家薬籠中のものとした結果、中国に先んじて西洋文明を取り入れた明治期には、翻訳の必要から新しい漢語をたくさん作り出し、中国人がそれを逆輸入して使うようになる、という現象が起きた。だが、それにしても、なぜ西洋文明・文化とはまったく関係のない「還暦」なる言葉が、明治初期の日本で作り出されたのだろう?また、なぜこの言葉を中国人は持ち帰って使うようにならなかったのだろう?
 私は、自分が還暦を迎えたことはまったく歓迎していないが、ただ、「還暦」という言葉は、いかにも漢字文化圏といった風格を帯びた、味わいのあるいい言葉だと思っている。だからこそ、今、そんなことを少し不思議に思っているところ・・・。(完)