防衛装備移転三原則の見直しに関して

 昨年のロシアによるウクライナ侵攻以来、日本の安全保障政策も異常な早さで変化している。ついに、と言うべきか、与党内部で防衛装備移転三原則の見直しという話になってきた。
 私は、今の政府(与党)のやり方に賛成していない。ただしそれは、国会を軽視し、与党内部の合意だけで、閣議決定という形で防衛政策を大きく変更していこうとすることについてである。必ずしも、防衛政策を変更すること自体についてではない。
 ロシアにしても中国にしても、何をし始めるかは分かったものではない。彼らには彼らの論理があって、日本や欧米がそれに反するのだ、ということになるのだろうが、日本の側から見れば、やはり彼らは理屈の通じない人たちである。
 日本は、彼らによる武力攻撃を想定して、防衛力の増強に努めるべきか、憲法に従う形で防衛力を縮減し、彼らを刺激しないようにすべきか。前者を取れば、彼らは力によって日本に対抗しようとするだろうし、すると際限のない軍拡競争によってパワーバランスを維持するしかなくなる。一方、後者を取れば、彼らがそれに乗じて日本を侵略しようとした時に、なすすべがない。
 左翼的な人たちは「戦争する国作りだ」と前者を批判し、後者を選ぼうとする。その際、「日本を侵略してきたりはしない」と言う。
 私は、いかに日本が前のめりに防衛政策を改定したとしても、政府・財界が積極的に戦争をしたがっているとは思わない。今の武力の大きさを考えると、戦争によって被害を受けることなく、利益だけを享受することなどあり得ない。誰にでもそんなことは分かっているから、自民党だって財界だって、ごく一部の狂信的な人を除けば、戦争はしたくないと心から思っているだろう。中国やロシアを相手に戦争をして勝てるとも思っていないだろう。一方、日本が丸腰になれば、相手の警戒心を解き、侵略を受けることなどないと考えるのは、あまりにも脳天気な楽観論であると思う。
 積極的な対抗措置をとるにしても、丸腰によって平和の実現を目指すにしても、その決断は難しい。「決める」と言うよりも「賭ける」と言った方がいいような覚悟が求められる。だが、丸腰策を取って裏切られた時には、回復させる手段がない。その危険を考えると、対抗的な態度を取ってパワーバランスによって秩序を維持することの方がまだ確実だ、ということになる。しかしそれは、上で既に書いた通り、際限のない軍拡競争を続けることを意味するし、万が一、武力衝突が起きた時には地球上の生物が全滅するような事態すら起こりうる。
 軍事研究の是非、ということがたびたび問題になる。日本学術会議などは、長く科学者による軍事研究を否定してきた。
 私なんかにとっては、不思議な話を聞く気分だ。軍事研究と非軍事研究を区別することは、国語の試験問題で「知識・技能」に関する問題と、「思考・判断」に関する問題を分けろ(←参考記事)というくらい困難だ。
 直接、武器開発をするならともかく、どんな知識・技術も、軍用にでも民用にでも利用は可能だ。はっきり区別できることなんてわずかだろう。AIのように、もともと軍用ではないが危険なものもたくさんある。当然、それは軍用もされるだろう。だから、もしも、パワーバランス路線をとるのであれば、軍事研究もせっせとやればいい。もちろんそれは戦争をしない前提、パワーバランスを保つための軍事研究だし、絶えず民への転用の可能性を意識しての研究だ。
 話が少しそれた。防衛装備品の移転三原則見直し、つまりは、殺傷能力のある兵器の輸出問題だ。これとて、ウクライナのような国を見殺しにはできないと言うなら仕方のないことだろう。ウクライナ兵に、防弾チョッキと軍用ヘルメットを身につけてじっとしていろ、と言うわけにはいかない。ウクライナを支持すると言いつつ、巻き込まれるのを恐れて、当たり障りのない支援をし、戦後の復興事業については契約を取り付けよう、というのはずるい。ただし、他国に武器を輸出することについては、それによって生じる我が身の危機を意識せず、純粋に利益だけを意識する人が多く現れかねない。果たしてそんな動きに、金と権力に執心の強い政府がどれほど抗い得るか・・・?
 それにしても頭の痛い問題である。そうして、国際紛争に関わることが危険であることは私にも分かっている。しかし、どんな事情があったにせよ、最初に手を出したロシアは悪い。それを黙認の形にしてしまうのはまずい。となると、議論の仕方の是非はともかく、日本政府のような対応を取るしかないようにも思う。温暖化問題で地球は崩壊の直前であり、本当に戦争なんかしている場合ではないのだが・・・。