「13位ショック」も同じ話

 一昨日の新聞報道によれば、注目度が高い科学論文数(他の論文に引用された回数が各分野で上位10%に入る論文の数)で、日本は過去最低の13位に転落した。日本の上には韓国やイランなどといった国も入っている。資源を持たない国にとって、知的水準の低下は致命的だ。
 凋落の原因ははっきりしている。ノーベル賞を受けた日本人研究者がこぞって言う通り、貧困なる学術政策だ。
 先日の国際卓越研究大学の認定(→参考記事)や、大学の基礎的運営費を減らして、競争的資金の割合を増やしていることなどによく表れている通り、大学も研究も国が意図する方向を目指させる方向に強く進んでいる。学問の将来なんて誰にも予測できないのに、政府が研究の方向性の価値評価をして、競争的資金を分配する。
 そんなことをしていれば、学術の裾野は広がらず、予想外の分野が大きく花開いて世の中を変えるなどということも起こらない。そんなことは当然なのに、政府はその過ちに気が付けない。介入の度合いを増やすことで、自分たちの権限の大きさや、頑張っているという意識に酔っているのかもしれない。
 公務員・教員のなり手が少なくなっている話と学術の質の低下は、トップダウンの帰結という点で同じである。とても大きく構造的な社会問題なのだ。
 ところで、注目度が高い科学論文数1位は中国、2位はアメリカ、3位はイギリスだそうだ。昨日来の私の主張、すなわち「トップダウンが現場の活力を奪っている」からすれば、1位の中国というのはおかしいのではないか、という疑問を持つ方はおられるだろう。今の中国は専制国家と言ってよいほど強いトップダウンの国である。
 理由は二つあると思う。一つは単純。中国は研究者数が多いのである。科学技術・学術政策研究所のデータによれば、日本(2019年)が67.8万人であるのに対して、中国(2018年)は186.6万人で、日本の2.75倍の研究者を有している。人口1万人あたりで見ると、日本(同)53.2人に対して、中国は13.4人と、日本が約4倍となるが、論文のランキングは率ではなく数である。
 だが、その数を見てみると、1位中国が5516本であるのに対して、13位日本は319本である。中国は日本の17.3倍。研究者数の比=2.75倍どころの話ではない。つまり、一つ目の理由は取るに足りない、参考程度、ということになる。
 そこで二つ目の理由となるのだが、私は、学術に対する投資の大きさと、成果を上げた時のご褒美の大きさ、もしくは、成果を上げられなかった時の罰の大きさ、が桁違いだからだ、と想像している。賞罰(アメとムチ)が実際どうかは知らないが、投資が大きいというのは間違いない。投資が大きいとは、研究費が潤沢であるというだけでなく、若い研究者が就く安定したポストがあるということである。日本は、トップダウンのくせに学術にたいした投資をするわけではなく、しかもその投資は恣意的だ。そのため、研究者が安定した環境で自分の問題意識に沿った研究に打ち込めない。
 国民が選んだ政治家が、自分たちの権力を笠に着て、トップダウンで何もかも意のままにしようとする。それによって底辺の活力が失われる。いろいろな場面に、その図式は成り立つ。学術が衰退するのも、公務員や教員がなり手不足に陥るのも、である。だけど、その因果が政治家には分からないんだなぁ。私のような底辺の者ではなく、ノーベル賞学者が言ってもなのだから、本当にどうしようもない。政治家は国民の質の反映である。