ゼロか100かではない・・・SODA問題

 日本全国どこでもであろうが、とても暑い日がまだ続いている。石巻では、この2日間、夜にほんの少し気温が下がって、熱帯夜を脱したが、何しろ昨日の最高気温は36℃。今日はずいぶん涼しくなったなぁ、と思っていたら、33℃だったとか。昨日より3℃低いと、33℃でもかなり暑さが和らいだ感じがするからすごい。現在、8月29日の21:55。私がいる我が家のリビングでは、デジタル温度計が29.5℃を示している。風もほとんどない。

 さて、韓国人のSODAという女性DJが、音楽イベントで、観客から胸を触られた事件が話題になっている。単に胸を触られたのが問題なのではなく、あまりにも露出度の高い挑発的な格好で、あえて聴衆と直接接触しに行ったSODAも悪い、という意見がネット上に現れ、それを非難する形で問題がエスカレートしたようだ。
 私が見ていて思うのは、触った方が悪いか、触られるような格好をしていた方が悪いかの二項対立、ゼロか百かという議論になっているのがよくない、ということである。
 問題の場面の映像は、私もテレビで見た。下着だけといった感じのSODAが、ステージ上で歌っていたかと思うと、男性スタッフに抱えられてステージ下に下り、最前列の観客に接近していった。私には、明らかに自分の女性性を売り物にしているように見える。それによって聴衆を引きつけておいて、聴衆が触れたから「ひどく傷ついた」というのは、少し勝手な言い分に思われる。
 確かに、触った側は悪い。しかし、100:ゼロではないと思う。もしもこれが、触った側が100%悪いとして、パフォーマーがどんな格好をしていたとしても、やはり悪いのはすべて触った側だ、と言えるのだろうか?ものには限度というものがある。裸で登場すれば、明らかに「公衆わいせつ罪」になるから、「触る」以前の問題(公演不成立)であることは明白であるとして、裸でさえなければ公衆わいせつ罪には当たらず、するとそれに刺激されて不埒な行為に及んだ者に全ての非がある、というのはいささか乱暴だ。
 例えば、公園のベンチに1000円札を5枚置いて、近くのトイレに行ったとしよう。通りがかりの人が、ベンチの上に放置されたお金を取ったとして、悪いのは誰だろう?もちろん、取った人は、それが他人のお金である(=自分のお金ではない)ことを知っていながら自分のものにしたわけだから、明らかに悪い。しかし、お金を置いた人にまったく落ち度がないかといえば、決してそんなことはない。では、ベンチの上の5枚の1000円札が、風に吹かれて飛んだとしたらどうだろう?どこからか飛んできた1000円札を着服した人は、100%悪だろうか?
 SODAの問題は、これとよく似ている気がする。人は、常識的なレベルで自分を守らなければならない。「人に誤解を与えるようなことをしてはいけない」という言葉は、たびたび耳にするような気がする。確かにそうなのだ。「守る」という言葉は仰々しい。それは「礼儀」であり、「たしなみ」であろう。「たしなみ」を失ったパフォーマーに、「たしなみ」のない客が手を出した。そんな事件だ。
 私が知る限りで、SODAは自分の振る舞いについて、反省の弁はいっさい語っていない。「やられた、やられた」という感じだ。私は、あまりいい気持ちがしない。「ゼロか百か」の議論は、そのことによって作られたようにも思う。