登山大会も完全復旧

 短歌についての雑文を書いている途中で、登山の新人大会に行っていた。続きを楽しみにしていてくれた皆さん(いるわけないか?・・・笑)、ごめんなさい。
 今年6月の県総体はお呼びがかからなかった。県総体まで1ヶ月を切ると、予定に入れる必要があるのかどうか落ち着かなくなってくる。2週間前くらいに、今回はナシだなと自分で判断して、美術部顧問としての予定を入れた。呼ばれたら行くつもりでいる私として、スケジュールがはっきりしないのは困るので、8月の下旬、ある酒席で会った登山部現役顧問に、「必要だったら行くし、必要でなければ行かない。どっちでもいいんだけど、早めに教えてよ」と言ったら、それから2~3日のうちに、委員長から「新人大会参加されたし」のメールが届き、それから半月後くらいに「派遣依頼」という文書が届いた(登山部のない学校ゆえ、本来の職務ではないため、高体連登山専門部から私の勤務校校長に「派遣依頼=お宅の職員を貸してね」という形を取る)。反応迅速。
 さて、行ったのは笹谷(ささや)である。今回は4年ぶりで、以前とまったく同様のやり方で開催された。すなわち、3~5人からなるパーティーでテント泊(教員は宿)、2泊3日、一つの学校から何パーティー出てもよい、というやり方だ(→昨年の記事=日帰り山行形式)。本当に久しぶりに、濃密な時間を過ごせそうだという期待も大きく、石巻在住の顧問OBの車に乗せてもらい、本隊から半日遅れて、金曜日の午後に笹谷入りした。
 泊まれない、食べられないという、登山部にとって致命的な状況が長く続いていたためか、残念ながら廃部になった学校もあったが、なぜか登山部在籍者の部員総数は増えていた。男子が91名23パーティー、女子が56名、13パーティーである。資料を手元に残していないので、正確には比較できないが、少なくとも1割増しといったところではなかろうか?
 いつもは、事前に計画書が送られてきて、自分の仕事が何かも分かるのだが、今回はそれがなかった。久しぶりとあって、準備にも混乱があるのだろうと思った。前日、事務局から「救護マニュアル」というものがメールで送られてきたので、昨秋と同様、救護係なのだろうと思って行ったら、女子隊の副隊長だと言われた。まぁ、「長」が付くほどたいした仕事ではないのだが、派遣の再任用教諭に当てる仕事ではないような気もした。
 行動のメインとなる昨日は、笹谷古道という歴史ある山道を歩いて笹谷峠に上がり、そこから山形神室(1344m)を目指すことになっていた。古道入り口から峠までは、最近主流となりつつあるパーティー行動である。教員による先導なしで、各パーティーが自分たちのペースで歩く(制限時間あり)。
 私は、男子隊副隊長のT先生と一緒に、生徒より30分早く出発し、登山道の状態を確認するとともに、ゴールでタイムを記録するのが仕事だ。キャンプサイトを出発していた時は青空が見えていたが、峠方面には黒い雲がかかっていたので、天候を心配していたところ、案の定、標高850mを越えたあたりから、かなり雲行きが怪しくなり、風も吹き始めた。ゴール地点(標高約940m)に着いた時には、山形神室方面は雲の中でまったく見えず、強い風が吹き、時折雨が降るようになった。夏が長かったためか、紅葉はほとんど見られない。
 一応、防寒対策はしていったものの、ゴールが吹きさらしの場所だったこともあって、とても寒い。私は結局、そこに約2時間立っていた。歯の根が合わず、全身の筋肉が硬直して動かなくなるほど寒かった。
 最後のパーティーがゴールする頃、雨が安定的に強くなってきた。最初にゴールしたパーティーは、既に1時間も待っている。医師が「低体温症になりかけている」と言う生徒が2名現れた。当然のように、その後の行動は中止。元来た古道を全員で引き返した。下山するにしたがって、空気のぬくもりのようなものが感じられるようにはなったが、雲行きは下界も怪しくなっていた。キャンプサイトに戻って、生徒がテント設営をしている時には、一時、土砂降りとなった。新人諸君にはとても気の毒な(=勉強になる)幕営条件である。
 今日は一転、快晴。ほとんど時間つぶしのように、笹雁新道の林道終点までお散歩(45分)し、休憩後引き返して、笹谷の公民館(旧川崎小学校笹谷分校)にゴールした。体育館で、高体連登山専門部行事恒例の「講話」。今年の講師は、気象庁大気海洋環境解析センター技術主任・大江光穂氏。なんと、仙台一高における私の教え子である。偉くなったものだ。
 これ以上の詳細は書かない。いろいろと問題はあったが、いいなぁ、元のやり方。テントに泊まって一緒に飯を食い、おしゃべりしながら山を歩く。そんな当たり前のことが、いかに幸せであるかということをしみじみと再確認した。同時に、過去3年あまりが異常であり、感染症対策というメリットを越えて、犯罪的に過剰な対策であったことを思った。栃木県での雪崩事故以来、実質的に出来なくなっている冬の活動も、本当は制限を解除しないとまずいと思うよ。