文語か口語か?(2)

 前回引用した高村光太郎の記述は、詩についてであって短歌についてではなかった。短歌は詩の一部とは言え、本当に同一に扱ってよいかどうかについては、慎重でなければならないだろう。
 前回も書いた通り、光太郎は与謝野鉄幹に師事して短歌を作り始めた。1909年(明治42年)に帰国すると、文芸創作の中心は詩に移るが、それでも、晩年に至るまで作歌は続けている。かなり雑然として感じで、どの歌を引いても、恣意的とのそしりを免れないようには思うが、全てをここに写すわけにもいかないので、そのことを覚悟の上で、少しだけ引く。

みちのくの安達ヶ原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ(1923年)
わが為事いのちかたむけて成るきはを智恵子は知りき知りていたみき(1938年)
山形によき酒ありてわれをよぶ呑まざらめやも酔はざらめやも(1949年)

 「為事」は「しごと」と読む。「立てる見ゆ」「知りき」「いたみき」「よき」「呑まざらめやも」「酔はざらめやも」といった表現を見てお分かりの通り、文語である。ただし、本当の文語であれば、「かたむけて」は「かたぶけて」になるはずなので、岩澤先生が批判する混用の短歌と言えなくもない。ただ、光太郎は基本的に、最初から最後まで短歌を文語で作っているのだ。詩を口語で書くという彼の方針との違いをどのように理解すればいいだろうか?
 この点において、岩澤先生の指摘はそれなりの説得力を持つ。それは、「文語表現は音節数削減に関してたいへん有効な方法である」ということである。同じことを表現するのに、文語の方が短い表現で済む。言い換えれば、31音という限られた音数で、最大限の内容を表現しようとした時、文語の方が優れているということである。
 例えば、上の歌の場合。「人立てる見ゆ」は「人が立っているのが見える」という意味で、それはとりもなおさず口語表現なのだが、では、口語でもっと音数を切り詰める方法があるかといえば、私には思い浮かばない。あえて言えば、「見える」を端折って、「人が立ってる」にするしかない。しかし、音数合わせのために「立っている」ではなく「立ってる」とすると、口語の中でも砕けた感じになり、それが詠者のイメージに合うかどうかは分からない。内容が一致していればいいというものではないということだ。また、「知りき」は「知っていた」で、しかも智恵子が知っていたことを光太郎自身が確かめていたこと(直接体験)を表現しているが、これもその内容を口語で表現する場合、直接体験であることまではわざわざ示さないにしても、3音では厳しい。そう思うと、短歌という短い詩形において、光太郎が文語を選択したのは、より多くの情報を一首に詠み込もうとした時の必然であったと考えられる。
 また、次のような詩を見てみよう。

聖業成りたまふの気/氤氳として天に漲るを覚える。(「四人の学生」1943年)
ただ眼を凝らしてこの事実に直接し/苟も寸毫の曖昧模糊をゆるさざらん(「一億の号泣」1945年)

 太平洋戦争に対して強い翼賛的姿勢を取っていた光太郎は、戦時中を中心に、文語調の詩、もしくは漢語を多く使った詩を書いた。それらの荘重な表現は、前回引いた「詩を書くのに文語の中に逃げ込むことを決してしまいと思った。(中略)文語そのものから醸成される情趣と幽玄性と美文性とは危険である。その誘惑は恐ろしい」と書いたことと矛盾する。上は詩の一節であるから、短歌の時のように、表現を圧縮するための方便という理屈も成り立たない。
 これらは、戦時中の高揚した意識によって選ばれた表現だ。本来の自分を見失っていたために生まれてきた表現とも言えるかもしれない。いずれにしても、戦争という非常時にあって、光太郎の興奮が、それ以前の日常では使わなかったような言葉をあえて選ばせたのである。
 なお、「四人の学生」の一節は、「成りたまふ」が文語・歴史的仮名遣いで、「覚える」は口語・現代仮名遣いである。光太郎ほどの人がそのことを知らないとは考えられないので、それは読者の理解を容易にするための配慮である可能性もある。短歌の「かたむけて」にも同様の事情があるかも知れない。
 こうなると、文語か口語か、歴史的仮名遣いか現代仮名遣いかというようなことを、マニュアル化でもするように議論するのはバカげている。その時その時の詩人・歌人の気持ちを表現する上で、最も適切な表現を選ぶ。もしくは、表現の全てに、その時その時の詩人・歌人の心の状態が表れている。それが、むしろ詩人・歌人の力量と個性とを示すに違いない。岩澤先生が明確に否定する、口語・文語、歴史的仮名遣い・現代仮名遣いの混用すらも、言葉に関する知識が不十分であるために起こったものであれば問題だが、詩人・歌人は意図してすることもあるだろうし、その場合は否定すべきではない。表現の可能性追求は、凡人が想像もしないようなあらゆる方法で行われるはずである。
 例えば、音楽(作曲)の世界において、元々、やってはいけない和声進行や旋律進行(禁則)というものがあった。「あった」と過去形で書くのは、おそらく、現代音楽ではそれが厳格に守られていたりはしないからだ。禁則を使うことが、新鮮な響きと感じられる場合がある。不協和音の使用だって、時代によってずいぶん違いがあると思う。例えば、そこに禁則が使われているかどうかは知らず、ドビュッシーの和声は、それ以前の音楽の歴史からすれば、まったくあり得ないものだったはずだが、やがては人々が受け入れ、画期的な響きとして評価するようになっていった(→参考記事)。今や、誰もその独創性の価値を疑わない。
 最後に、話を短歌に戻す。
 結局のところ、語法については作者の工夫に委ねてよいと思う。規則ありきではなく、あくまでも作者が自分の言いたいことを最も効果的に表現できる方法を工夫すべきであって、語法は結果に過ぎない。だが、短歌が31音であることは絶対に譲れない一線だ。5音、8音という長大な字余りを犯すのであれば、自由詩として扱うべきである。音数律の美に関わるからというだけでなく、5・7・5・7・7=31音という限られた音数に合わせるため、表現を工夫し、磨きに磨く。そこに感情の凝縮も、緊張も生まれてくるはずだからだ。