文語か口語か?(1)

 岩澤先生は著書の中で、短歌の定型性だけでなく、用語と仮名遣い、詞書といった問題についても考察している。定型性について基本的に意見が一致していた私も、こちらはそうはいかない。
 まずは用語と仮名遣い、すなわち、文語か口語か、歴史的仮名遣いか現代仮名遣いか、という問題である。先生は、文語でも口語でもよく、歴史的仮名遣いでも現代仮名遣いでもよいが、混用はよくない、とする。ところが、それはあくまでも頭で考えればそのような結論になるというだけであって、実際には、短歌は文語で作る方がよい、と考えているようだ。先生は、「文語のもつ余韻というか、重厚なイメージの膨らみのようなものが、短歌の世界の構築に適している」「やはり伝統的な格調高い短歌といえば文語短歌でしょう」と書く。そう主張する理由はおよそ次の通りだ。

①    日本人は中学高校で文語の存在と正当性を学んでいる。
② 短歌という名称が、千数百年来、その形が「57577の短詩形定型詩」に名付けられたものである以上、文語でこの定型にのっとっていれば、立派な短歌である。
③ 過去から現代に至るまで、秀歌・名歌と評されるものは、ほとんどが文語短歌である。
④ 新聞掲載短歌のほとんどが文語短歌であることは、現時点で多くの人が、短歌は文語で作り書くものだと考えていることを示している。

 ここはななかなかに???の部分である。①の「正当性」とは何だろう?②は、文語で定型のものを立派な短歌とするのはいいにしても、それは文語でなければいけない理由にはならない。③もそれと関係するが、秀歌・名歌と評されるものがほとんど文語短歌であるのは、口語が普及するようになってから100年あまり、それ以前が1200年以上であることを考えれば、当たり前の話であって、文語の優位性を証明するものではない。④で、今でも多くの人が文語で短歌を作るというのは、事実認識としては正しいかもしれないが、これまた、だから短歌は文語であるべきだという説明にはなっていない。この点については、以下で詳しく触れる。
 最初に言ってしまえば、先生が「短歌は文語」とするのは、単なる思い込み、あるいは先生の好みであろうと思う。文語か口語かという先生の議論の中で、まず決定的に問題なのは、俵万智の歌集『サラダ記念日』(河出書房新社、1987年)が問題にされていないことだ。口語短歌の可能性を考える上で、300万部近い空前の売り上げを記録したこの歌集を避けた議論などあり得ない。『短歌よ 定型に還れ!』が2000年刊だから、考察のための時間は十二分にあった。おそらく、文語の方が表現力が豊かであり、口語はそれが乏しいと言うなら、果たして『サラダ記念日』がこれほど売れただろうか?「売れた」と言えば俗っぽいが、世の中の人が感動し、積極的に受け入れたということである。それが、佐村河内事件のような、単なる軽佻浮薄なブームに過ぎなかったのかどうか?最低限、その検証は必要だろう。
 このこととの関連で、思い浮かべるのは、口語自由詩の確立者と評価される高村光太郎だ。高村は、詩を書くようになる前、新詩社で与謝野鉄幹に師事する歌人として出発した。ところが、25歳でアメリカ、ヨーロッパに留学した後は、詩を書くようになった。フランスでヴェルレーヌボードレールの詩に触れ、帰国後、北原白秋三木露風の詩を読むことで、自ら詩を書き始めたのだ。いきさつを次のように語る。

「日本へ帰って来て、いわゆる白秋・露風時代の詩を見ると、日本語でもこういう表現の自由のあることが分かり、この両詩人を尊崇して、雑誌『スバル』の裏画にその漫画まで描いた。白秋、露風、柳虹というような詩人のおかげで、詩は結局自分の言葉で書けばいいのだという、以前からひそかに考えていて、しかも思い切れなかったことを確信するに至った。それで私は夢中になって詩を書き出したのである。」(「某月某日Ⅴ」、1941年5月。『全集』第9巻)

 ここから何を読み取るかは後回しにして、文語を使うか口語を使うかについての高村の言葉を引いておく。

「詩を書くのに文語の中に逃げ込むことを決してしまいと思った。どんなに傷だらけでも、できるだけ今日の言葉に近い表現で詩を書こうと思った。文語そのものから醸成される情趣と幽玄性と美文性とは危険である。その誘惑は恐ろしい。言葉を必ず洗おう。言葉の肌の付着物を浄め去ろう。出来る限り事物そのものと密接させよう。」(「某月某日Ⅰ」、1936年6月。『全集』第9巻)

 つまり、口語で書くということは、自分に最もしっくりくる表現だったからであり、文語を使わないということは、自分が詩を通して人に伝えたいことが上手く伝わるかどうかとは関係なく、言葉自体が人を酔わせるからである。ここには、自分の言いたいことを表現するために最も適切な表現とはどのようなものか、という問題意識が表れている。1883年(明治16年)生まれの高村にとって、既にそれは口語だったということだ。
 思えば、詩人・歌人は、誰しも人に伝えたい思いがあって作品を作る。その思いを伝えるのに最も適した言語、表記を選ぶのが当然だ。まず最初に文語か口語かという議論があるわけではない。文語か口語かは結果の問題である。おそらく、俵万智にとっても、自分の思いを最も適切に伝え得るのが口語であり、口語の中でも極めつけに平易な口語であった。日本人に詩は英語で作るべきだと言ってもダメだろう。同じことである。英語では、ニュアンスが分からず、したがって自分の思いを正確に伝えることが出来ない。現代に生きる日本人が、短歌を作る時だけ文語というのは不自然な話である。(続く)