この間に見た音楽番組について、少し書いておこう。
指揮者の井上道義は、今年末に77歳=喜寿になるが、早いうちからそれとともに指揮活動から引退するという宣言をしていた。その井上が指揮する最後のN響定期演奏会(2月3日の第2004回)の録画が、5月5日に放送された。
曲目は、ヨハン・シュトラウスのポルカ「クラップフェンの森で」、ショスタコーヴィチの管弦楽組曲から4曲(行進曲と舞曲)、そして交響曲第13番「バビ・ヤール」。井上お得意のショスタコーヴィチを中心にした、しかもロシア語の男声合唱が必要であるため、日本ではめったに演奏されることのない第13番という貴重な演奏会である。バス独唱はアレクセイ・ティホミーロフ、合唱はスウェーデンのオルフェイ・ドレンガル男声合唱団。
「バビ・ヤール」とは、ウクライナの首都キーウにある谷間で、第2次世界大戦中にドイツ軍が10万人とも言われるユダヤ人を銃殺した場所である。1961年にエフゲニー・エフトゥシェンコ(1932~2017年)という詩人がその悲劇をテーマとして書いた詩を使って、ショスタコーヴィチが交響曲を作った。
東北大学交響楽団や仙台フィルで、井上道義のライブには何度か行ったことがある。残念ながら、圧倒的な感動を得たという体験はないが、印象度の筆頭は2013年7月に名古屋マーラー音楽祭で聴いたマーラーの第8番だ。その時、ほんの少しだけ話をする機会があった。テレビで見ていても同様なのだが、井上という人は怖い指揮者である。チェリビダッケやトスカニーニのように、オーケストラの上に君臨する絶対王のような指揮者がいなくなり、温厚な調整型の指揮者が増える中、井上の怖さは際立っている。いつもおどけていて、ひょうきんな言動の人ではあるのだが、目が本当に怖い。
一方、私にとってはショスタコーヴィチに対する思い入れの深さにおいて(→参考記事)、妙に親近感を感じる指揮者でもある。一昨年の11~12月、朝日新聞の「語る-人生の贈りもの」欄で、井上の回想が14回連載された。その第8回(11月24日)に次のような言葉がある。
「今の世の中で人気になるのは3分くらいの短くてわかりやすい音楽ばかりだけど、本当に面白い世界って、多少わかりづらいものじゃないかと思うんです。だからこそ、少し分かり始めると、発見するのが面白くなってくる。人間もそう。本当に面白い人は多少とっつきにくそうな感じで現れるもんでしょ。ショスタコービチが僕にとってはそういう人でした。」
「『正しい』ことを疑う。自分の心で考え、好奇心を貫く。僕の生きる道はここにある。ショスタコービチはもう、僕自身なんです。」
私はこの井上の言葉に全面的に共感する。同時に、「本当に面白い世界って、多少わかりづらいものじゃないかと思うんです。(中略)人間もそう。本当に面白い人は多少とっつきにくそうな感じで現れるもんでしょ。」という言葉は、私から見た井上そのものである。怖そうな人だと遠ざけつつ、発言や音楽を聴いていると、なんとなくその魅力から離れがたくなってくる。
その井上が、かなり精力的にショスタコーヴィチをプログラムに取り上げていることは知っていて、交響曲全集が発売されていることも知っていた。しかし、私が行った何度かのライブで、ショスタコーヴィチが演奏されたことはなかったし、今回まで、テレビやラジオでも聴いたことがなかった。今回の放映は、以前から気になっていた井上+ショスタコーヴィチを目の当たりにする初めての機会だった。
この演奏会は、元々2020年12月に開催される予定だったらしい。もちろん、コロナ騒ぎで延期になったのだ。この演奏会に関して言えば、この3年あまりの延期は、曲の意味を考える上では決定的な時間だった。演奏前のインタビューで、井上は次のようなことを語っていた。
「2020年に演奏するんだったら、僕は音楽のことだけを考えていればよかった。ところが、4年経つと、実際にこの音楽で糾弾しているようなことが起こっている。何万人も死んだり・・・。もう、演奏なんてしたくないくらいだよ。ここで僕たちがやっていることが現実に起こる。現実にあったことを音楽にした昔の話だったはずなのに。昔話を、ああそうだった、今は大丈夫だよね、って思っていたのに、全然学んでないね、人は。」
確かにそうだ。ロシアのウクライナ侵攻が始まってしまったために、私たちはこの曲に描かれた世界を現実と重ね合わせざるを得なくなってしまったのだ。
管弦楽組曲(我が家のCDでは「ジャズ組曲」)も交響曲も素晴らしかった。いや、井上の指揮ぶりも含めて面白かった。字幕に出てくるエフトゥシェンコの詩は意味不明だったが、そんなものは分からなくても、作曲者、演奏者の思いは伝わってくるものなのだ、それこそが音楽の力なのだ、と思わされた。同時に、おどけた井上が、何も受けを狙っておどけているわけではなく、とても自分に正直に振る舞っているだけなのだということが感じられた。彼のショスタコーヴィチに対する思い、そして今のロシアの戦争に対する怒りと失望・・・おそらくそれらを正直に本気でぶつけた演奏だったのだ。
井上は、インタビューの最後で、ショスタコーヴィチの音楽は、私たちに「希望はあるか?」と問いかけた上で、「ないとしたら、お前のせいだぞ」と言っているのだ、と言う。ショスタコーヴィチの音楽に、そんなメッセージが隠されているかどうか、私には分からない。だが、一般論として、それは正しい。私たちは、常に私たちのあり方を問われているのだ。
しかし、私たちを取り巻く世界は、私たち自身の力で希望を持つにはあまりにも大きく手強い。すると、ショスタコーヴィチを聴くことは苦しい。やはり、ショスタコーヴィチは、私にとって「大好きで大嫌い」な存在なのだ。改めてそんなことも思った。