3連休のうち、最初の2日くらい寝ていれば回復するかと思っていた私の風邪は意外にしつこくて、むしろ2日目(11月3日)の午後からは、咳が出始めた。熱はない。
しかし、最終日である昨日は、むくむくと起き出して、仙台まで行った。仙台ニューフィルハーモニーというアマチュアオーケストラの演奏会があり、例によって関係者からチケットをもらってあったのだ。しかも曲はブルックナーの交響曲第6番。更に、今回は珍しく妻が行くと言いだしたので、「じゃぁ、久しぶりでデートだな」(笑)などと約束していたのである。熱でもあればあきらめたのだが、体調は優れないまでも、ぎりぎり「行ける範囲」。会場は、東北大学・萩ホール。
仙台駅で電車を降り、青葉通を歩いて行くと、林立するビル群の谷間に、晩翠草堂という古い木造家屋が建っている。詩人(「荒城の月」作詞者として有名)であり英文学者(旧制第二高等学校教授)であった土井晩翠(1871~1952年。文化勲章受章者)が晩年を過ごした家だということは知っていたが、いつも門が閉まっているので、入ったことはなかった。ところが、昨日は門が開き、「開館中」の札が下がっていた。建物の規模からいっても、見学に長い時間がかかるわけもなし、では、ちょっと見せてもらおうと中に入った。台所や風呂場のような舞台裏は見せてもらえなかったが、二間の居室が公開されていて、実際に晩翠が息を引き取ったというベッドがあり、その著作などが展示されていた。
私は土井晩翠に対して、多少の知識こそあれ、たいした思い入れを持っていたりしないのであるが、案内の方が、「昭和24年に建てられた家です」と説明するのを聞いて、にわかに心がざわめいた。
実は、私が今住んでいる家を建てる前、同じ場所で、昭和24年建築の古い木造家屋に約10年間借家暮らしをしていた。縁側があり、畳敷きの8畳間ふたつが襖で隔てられているだけという構造で、なんと晩翠草堂と同じだ。私は、その家の古風で素朴なたたずまいに猛烈な執着があった。しかし、なにしろ土壁で、外壁まで含めて純無垢材の木造家屋である。買い取りはしたものの、老朽化がひどく、大々的な修理が必要で、将来的なことも考えると、多少の増築をしなければならない。見積もりを取ったところ、新築の2倍以上の金額がかかると言われて断念し、取り壊して今の家を建てた。晩翠草堂で、その古い自宅を思い出し、懐かしさがこみ上げてきたのだ。今でも、そんな家に住みたいと思う。ひどく感傷的な気分で晩翠草堂を出た。
さて、開場の15分前に萩ホールに着くと、既に長蛇の列が出来ていた。1200人収容の萩ホールは、1階が9割以上、2階も5割ほどが埋まった。ホールの音響の素晴らしさもさることながら、空調装置の音がゴロゴロとうるさく、空席だらけの県民会館(東京エレクトロンホール、1600人収容)で演奏会を開くよりもよほどいい。
指揮者は橘直貴(たちばな なおたか)。上記ブルックナーの前に、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」からの抜粋(11曲)が演奏された。
「くるみ割り人形」が始まった時には、あまりにも頼りなく、不揃いな弦の音に戸惑い、いったい今日の演奏会はどうなるのだろう?と思ったが、「花のワルツ」あたりで音が伸び出した。
今年生誕200年を迎えたブルックナーは私の大好きな作曲家だが、6番というのは地味な作品で捉えどころがない。そもそも、この曲が「イ長調」、いやいやそれ以前に「長調」とされていることにかなり違和感がある。楽譜を見るに、第1楽章の第1主題からしてニ短調ではないのかな?プログラム・ノートには、「心に秘めたベートーヴェンの交響曲第7番に対する憧れで、イ長調にたどり着いたのではないでしょうか」と書かれているが、ベートーヴェンの第7番と共通するものを、私は何一つ見出すことができない。
プロと思しき客演奏者が何人か入ったということもあるのだろうが、ブルックナーはなかなか堂々たる演奏だった。やはり、ブルックナーはライブで聴いてこそ、そのブルックナー的な音の響きがよく分かる。その響きに身を浸すのは快感である。ブルックナーの交響曲の中でもあまりブルックナー的ではなく、楽器編成においても平凡な第6番でさえ、やはりどうしてもブルックナー的なのだ。抑えようのない個性とは偉大である。咳を我慢しながらではあったが、それによって集中力をそがれることもなく、アマチュア特有のひたむきさもあって、本当にいい演奏を聴いたという気になれた。
ブルックナーの後にまさかアンコールはないだろう、と思っていたら、「くるみ割り人形」のパ・ド・ドゥが演奏された。アマチュアオーケストラ、よく頑張ったなとは思うが、やはり、少し蛇足感があった。